東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

是動病と所生病についての私見〜経絡と臓腑の病の二重性について〜

2016-08-30 07:02:33 | 覚え書
 経絡と臓腑の病んでいく構造について考えている。二重性で考えることの大事性実感する。

 経絡と臓腑の病んでいくということを考えるとき、経絡と臓腑を繋がっているものとすれば二つのありかたが考えられる。
 一つは経絡が病んで結果として臓腑が病んでいったもの、もう一つは臓腑が病んで結果として経絡が病んでいったもの。専門外の方にとっては同じことを逆さまにしていっているだけ、言って見ればライスカレーとカレーライスの様に思えるかもしれ無いが、実践的には、つまり治療上は両者はしっかりと区別せねばなら無いし、区別する意味があることである。

 なぜならば、経絡が病むことで臓腑が病んでいっている病は、経絡で治療できる可能性が大であるが、逆に臓腑が病むことで経絡が病んでいっている病は、経絡で治療しても効果は薄い、経絡で治療してもすぐに戻ってしまう。
 これを別言すれば、経絡の病にも二重性がある。となる。臓腑を主体にすれば臓腑の病にも二重性がある。とはなるが。

 この様に考えると、是動病と所生病という形で経絡の病には二つあると区別することには、しっかりとした根拠、意義があると思える。
 是動病とは、臓腑の病の結果として経絡に反応が出ている、あるいは病んでいっているもの、所生病とは経絡が病んでいった結果として臓腑までもが病んでしまった病ということになろうか。それゆえ、是動病の場合は本来、鍼灸よりも湯液での治療の対象であり、所生病は鍼灸の治療の効果が高い病ということになる。のではと思う。
 また、そのように是動病と所生病を考えていってみると五要穴と五行穴の意味するところも、似たような経穴のセットが何故に二つ作られたのかも分かるように思える。

 是動病と所生病については、経絡と臓腑の病んでいく構造の二重性として、引き続き考えていきたい。
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