鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

寝た状態を常態とするとボケる?〜立つことと脳の働き〜

2017-07-21 21:37:31 | 解剖生理学・その他
寝た状態と立った状態では、人間の脳の働きは違うのでは無いのか、違わなければならないのではないか、と思える。

体調不良で入院させた高齢の父親。昨日、病室へ行って見るとすっかりボケてしまっていた(入院以前は、日常生活をしっかりと自立して行っていたにも関わらず……)

これは、病院の特殊性ゆえに(端的には上げ膳据え膳である)、体調の不良と相まって自立心(自分のことはしっかりと自分でせねば!という意思)を失って(弱まって?)しまったがゆえにと思えたので量質転化する、しきる前にとの思いから、担当医師に病状を確認して「まだベッドで自力で起き上がれないから、もう大丈夫だとは思うが体力が戻るまで念のためもう一晩」と言うのを、自身の考えを簡単に医師に説明して退院の許可を貰い退院させた。

思った通り、ベッドで自力で起き上がらせ、しっかりとアタマを働かさせるとの意図で話しかけ、会話をしながら退院の準備をしていくと、だんだんと朦朧としてモゴモゴと話していたのが、入院前の状態に戻って行った。様子を見に来た担当医師も「ずいぶん元気になられましたね!」と驚き……であった。

ところが、である。昨日帰宅してほぼ入院前の状態に戻ったと思っていた父が、今朝は再び寝床からモゴモゴと話している。のに「?」との思いとなり、数分間、会話を交わして「!」と気付いたことがあった。それは、「寝た状態であるからボケているのでは?」ということであった。

その自身の思いの成否を確かめるべく、立ち上がって、の行動を促した。立ち上がって自身で朝食の準備をするうちに、先ほどまでの朦朧としてモゴモゴと口ごもった話しかたは消え失せ……であった。

これは端的には、両足でしっかりと立つということが脳の働きの正常化を促したということであると思う。その構造は、南郷先生がどこかで、外科医がオペを立ってやるのと座ってやるのとの頭脳活動の違い、それゆえオペの中身の違いを例に挙げて、説いて(解いて)くださっていたと記憶しているが……その理解は未だしであるので、詳細には、いずれ実力を培って説きたいと思うが、人間の生理が昼間は運動のために夜間は休息のために脳によって統括されているということからも、しっかりと立ってはじめて脳も正常に働くと当然に考えてられるのであるから、しっかりと立つことによってこそ脳がしっかりと働くということを真面目に考えて実践して行かねばならないと思える。

おそらくは、真夏の炎天下の砂利道を裸足で歩く、走るということの意義も、足裏からの強烈な反映による脳細胞の強烈な活性化にあるのだと思える。この炎天下の砂利道の鍛練だけは、怠け者で飽きっぽい自身には珍しく、十年以上も継続して行って来ている鍛練なのであるが、より一層の熱意を込めて今夏も取り組んで行きたいと決意された。

ついでに言えば、当初の自身の父親のボケの捉え方は、問題の一面を認識という視点から捉えただけに過ぎず、問題を全面的に捉えているとは言いがたい、特に実体面からの視点が欠落していたのだと、思える。

何時もの河原
砂浜は河原ほどの物理的な刺激は無いが、温熱刺激としては強烈なものがある。真夏の足裏鍛練を始めた当初に、足裏全部が火膨れとなって1か月ほどまともに歩けないということがあったが、今夏には出来ればそのレベルの足裏鍛練を、と思っている。

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