長かった今年の梅雨もあと僅かで明けそうです。梅雨が明ければ恒例の真夏の炎天下での鍛錬を行うことが出来、結果として僅かでもの前進が可能となるのでは、と思える。
さて、本日のテーマ、「東洋医学の原点を問うとは如何なることか」。
大きな問題にぶち当たったり、難問にお手上げとなった時に、その対処法として、「原点に遡って」とか「原点を問い直す」ということがよく言われる。
これは、鍼灸、東洋医学の世界でも同じくであり、西洋医学が導入され、ウソ迷信の類である鍼灸、漢方が撲滅させられようとした時にも、「古典に還れ」をキャッチフレーズとしての「原点の問い直し」が行われ、結果として「経路治療」が誕生させられ......。
しかしながら、そこで行われたことは本当に「原点」の問い直しであったのだろうか?
何百年以上もの、もしかしたら何千年もの年月を経て誕生させられたであろう『黄帝内経』の内容、例えば「経絡」、例えば「五蔵」、例えば「気」、例えば......等々を、あるものとして、そこからスタートすることが、これは例えば事実としては、経絡と五蔵との対応を、何故?、本当にそんなことが言えるのか?言っていいのか?と問うこともせず、それは鍼灸の大前提であるから疑うべきでは無い、としてしまってスタートすることは、原点の問い直しと言えるのだろうか?ということである。
本当は、東洋医学としての形式すら取れない中での無限と言っていいほどの医療実践の中味を問うことが必要なのでは無いのか?
それこそが、「原点に遡って」ということであり、「原点の問い直し」なのではないのか?
と思える。