鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

河原の鍛錬・暗唱、鍼治療〜季節の変化とともにの自身の変化〜

2015-10-08 22:58:29 | 日記
 季節が夏から秋へ秋から冬へと変わっていくのに合わせて、自身も変化して行かねばと思う。

 昨日、本日と続けて、河原の石の上を裸足で早足で歩きながら、十二経脈(太陰肺経→陽明大腸経→陽明胃経→太陰脾経→少陰心経→太陽小腸経→太陽膀胱経→少陰腎経→厥陰心包経→少陽三焦経→少陽胆経→厥陰肝経)の暗唱を行った。
 近頃は、裸足で石の上を早足で歩くこと、しっかり集中していれば、石がぐらついても転倒することもないし、以前の様に爪をはがしたり、指の打撲にはならない様になっていたのだが、十二経脈の暗唱をしながら行うとまったく事情が違ってきた。

 端的には、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たないという矛盾そのものと言っていい鍛練となった。
 具体的には、足元に集中すると暗唱が出てこない、アタマが止まってしまう。暗唱に集中すると足が止まってしまうという矛盾である。これを無理やりに両立させようと、歩くことを止めずに無理やりに暗唱を行うと足元が疎かになって転倒しそうになり、恐怖心から足元に意識を集中するとアタマが止まりそうになり、アタマを止めてはならじと無理やり暗唱を続けると足元の石のぐらつきに転倒しそうになり・・・・・・。という連続で、わずかに数分間で集中力が続かなくなり、これ以上は怪我をするだけと、本日はそこで止めた。わずか数分のことであるのに、すっかり疲れ果て、学校へ行く電車の中では、無性に眠気が襲ってきた。これは、十二経脈の暗唱のあり方としても、神経力、認識力の鍛練としても必要な鍛練であると思える。引き続き行っていきたいと思う。また、いずれその意義について詳細にときたいと思う。

 また、本日は、先日の生徒同士での鍼の打ち合いを無事クリアしたことを踏まえて、果たして本当に鍼アレルギーをクリアできたのだろうかを検証するためとの思いもあって、学校の付属治療院で鍼治療を受けた。
 鍼アレルギーがあるという前提でのソフトな鍼であったのだが、特に気分が悪くなることもなく約1時間の治療を受けることができた。鍼アレルギー、無事克服!と考えて良い様である。機会があれば、自身の鍼アレルギーという認識が如何に変わっていったか、如何に変えたかを説いてみたいと思う。

 今の時期は、夏から秋へ秋から冬へと季節=自然的外界が大きく変わっていくのであるから、自身にとっての外界の反映が大きく変わっていく時期でもあるのだから、それによって自身の認識と実体も大きく変わっていくのが当たり前であるし、それを目的意識的に捉え返すことで、自身の認識と実体を進歩・発展という形で大きく変えてく可能性を持つ時期であると思える。せっかくの季節の移り変わりを意義あるものにすべく全力を尽くしていきたい。

 

 

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