鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

「旧・東概」まとめ(10-1)〜経絡説の歴史的変遷〜

2015-10-13 06:51:40 | 鍼灸理論・東洋医学
 「3.臓腑経絡論」では、まず経絡の歴史的な変遷が説かれ、次に経絡の構成と機能について説かれる。(わざわざ経絡の上に臓腑と冠してあるのだが、臓腑と経絡の関連については特に説かれてはいない。)
 まずは「目次」を記して、その後に、まとめを行なっていく。(以下、『』内は要旨。)

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 「目次」

3.臓腑経絡論

 1)経絡概説
  (1)経絡の成り立ち(2)経絡の構成(3)経絡の機能(4)十二経脈について(5)奇経八脈(6)その他の経路系

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 「前説」
 『経絡について考える場合、経絡現象とそこから形成された経絡説とを、まず区別しなければならない。
 経絡現象とは、例えば、針を刺したときの「響き」という伝達現象であり、一定の部位に鍼を刺したときに、その部位ばかりでなく遠隔部位にまで変化が波及するという治療経験である。
 それに対して、経絡説とは、経絡現象を基にして、その性質や現象の発現の仕方の法則性を見出すことで、考え出されてきたものである。それゆえに、経絡説は、形成された時代・社会のあり方に規定されるものである。』

 「1)経絡概説」
 『経絡とは、気血の運行する通路のことであり、人体を縦方向に走る経脈と経脈から分枝する絡脈を総称するものである。蔵象と並んで東洋医学の根幹をなす考え方である。』
 (1)経絡の成り立ち
 『経絡説の歴史は大きく三つに分けられる。
 ①春秋戦国時代以前には、気の概念が広まっておらず、気の流れる通路としての経脈という考えかたは無かった。脈といえば、血の経路としての血脈であった。
 ②春秋戦国時代〜前漢には、経脈説の原型となる体表部を走行する三陰三陽の経脈というものは認識されていて、気の通路として想定されていた。が、臓腑との結びつきという認識は無かった。
 ③前漢から後漢にかけて、陰陽論、五行論が医学にも浸透し、三陰三陽の十二経脈が、天の十二月や地の十二水との相応において認識され、体内の五臓(六臓)六腑と関連ずけられ、経絡系統が確立。この時代に完成した経絡説が今日まで受け継がれている。』

 ここまでの、経絡説の歴史性を説く部分が「新・東概」では、まったくといいほどに無視されてしまっている。これは、私には、明らかに理論的な後退を示すものと思われる。この、そのものの歴史性を説くという「旧・東概」の美点が、経絡を説く場合だけでなく、他でも「新・東概」では、全くと言っていいほどに受け継がれていない。と思う。
 そのものの歴史性よりも、実際の診断治療で使えるように詳細に説くとの方針転換の故の、教科書という限られたページ数という条件での苦渋の選択なのかもしれないし、歴史性に関しては「第1章 東洋医学の特徴」で説いているということなのかもしれないのだが・・・・・・。

 長くなったので、「(2)経絡の構成」以降は、明日に。

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