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先哲に学ぶ~吉田松陰~

2010-05-20 11:51:26 | その他
   至誠を貫いた三十年の生涯 

      祖国の将来を憂え「已むに已まれぬ大和魂」の行動


 幕末の尊王攘夷運動を推進し、維新を成し遂げる大きな役割を担ったのは長州藩である。その長州藩の青年達を導き、国家を変革する人材を数多生み出した指導者が松下村塾の吉田松陰である。祖国の将来を憂えて燃え続ける魂の炎は、志を抱かんとする回りの青年達の魂に次々と火を点じて行った。

私が、吉田松陰の存在を知ったのは、陽明学と出会い、日本陽明学派の人物研究を志した二十歳の冬であった。祖国を憂え、道を求め、至誠に生きるその姿に、時代を超えて、青年のあるべき姿を教えられた。翌春、萩を訪れ松陰先生の墓前に額ずいて以来、私は、人生の大きな決断を下す時には、松陰先生の墓前を必ず訪れる。

 吉田松陰は天保元年(1830年)8月4日に、長門国萩の郊外松本村に、杉百合之助の二男として生まれた。5歳で、山鹿流兵学師範の叔父吉田大助の仮養子になり、翌天保六年4月に吉田大助が病で亡くなり、吉田家を継ぎ大次郎と改名した。天保九年には、教授見習として、藩校明倫館に出仕し、十一年には藩主毛利敬親の前で山鹿素行の『武教全書』を講じている。松陰十歳の時である。

松陰は暖かで思いやりと信仰深い家庭の中で、学問好きの父と叔父・玉木文之進に導かれて学問に励んで行った。弘化二年(1845年)十六歳の時に長沼流兵学を学び、世界の大勢に眼を開き始め、嘉永元年(1848年)には、山鹿流兵学師範になった。志を立てる事の重要さを次の様に記している。十七・八歳の頃の文章である。

●道の精なると精ならざると、業の成ると成らざるとは、志の立つと立たざるとに在るのみ。故に士たる者は其の志を立てざるべからず。夫れ志の在る所、気も亦従ふ。(生き方が確固たるものになれるか、物事を為し遂げる事が出来るか否かは、全て志が立つか否かにかかっている。志さえ立ったならば気力は自ずと従って来るものである。)

●自ら以て俗輩と同じからずと為すは非なり、当に俗輩と同じかるべからずと為すは是なり。(自分は俗人で無いと思うのは間違いだが、俗人であってはならないと自戒する事は重要な事である。)
              
                     (『祖国と青年』22年4月号掲載)