わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

発熱 ベトナム便り7

2006年02月01日 | 日本語教師
こちらk-603.
日本語教師の現状として、こんなこともあるんだよ、と言うお話をしましょう。
この学校の学校長は30代の若い日本人です。奥さんは20代のベトナム人。子供が1人います。
いま、奥さんの田舎へ帰省していて、ここには私一人しかいません。
さて、30日の夜、シャワーをあびて、パソコンに向かっていました。窓があいています。涼しい風が入ってきます。おやっ、風と一緒に蚊も入ってきました。そこで揮発性の殺虫剤をコンセントに差し込み、窓を閉めてエアコンをつけます。部屋が冷えてきます。1時間半ぐらい経ちました。
急に背中に悪寒が走ります。
ランニングシャツ一枚でいたのが悪かったのでしょうか。
がたがた震えが来ます。すぐに横になりましたが熱はきっと38度か39度だと思いました。
マラリア? それとも、例の鳥インフルエンザ?
実は、テト元旦の29日からほとんど食い物らしいものを食っていません。
体力がないので、病気になったら面倒だぞと思っていたところでした。
つまり、テトの間はいつも通いつけの食堂もパン屋もチーズを買える雑貨屋も全部閉まっています。
そのつもりで、インスタントラーメンやら、餅(日本から送ってもらってあった)やらを、用意してあったのですが、さて、ガスを使おうとボンベのコックをひねっても、ガスが出てきません。学校長の奥さんは、自分たちが田舎へ帰るので、不要だと思い、ガスが入ったボンベに交換していってくれなかったのです。
仕方なく、インスタントラーメンは丼に麺を入れてその上からお湯を掛け(こういうことを予測していたわけではありませんが、1週間前に電気ポットを買ってありました)、麺が柔らかくなった所で、お湯を新しくして調味料等を入れるという方法で、クリアーしました。
ところが、こんどは、水がないのです。
これも、私がテトの間学校に残っているので、新しいのを買っておいてほしい、と受付のQさんに再三頼んであったのですが、無視されました。
さあ、熱があって、冷たい水が飲みたいのですが、それをするには、水道の水を一旦沸かして、それが冷めるのを待って、そして冷蔵庫に入れて、という手間をかけなければならないのです。
体が重いので、もちろん外に出て氷の入ったお茶を飲むことなんてできません。
こんな時のためにと日本から持ってきてあったパック詰めのおかゆを電気ポットのお湯の中に入れて熱くし、これまたこの時のために持ってきてあったうめぼし、そしてかつをぶしをいれて、醤油をかけて食いました。(食べましたと言うより食いましたの方がぴったりです)
しかしそれも2つしかありませんでしたので、ついに何も口にするものがなくなりました。
こんなときは、無性にみかんが食べたくなります。
いつもなら、毎朝学校の前に売りに来るのに・・・。
そんなとき、今日私をたずねてくるはずの学生のことを思い出しました。
どうしようか、こんな体で、断ろうか・・・。
電話をかけてみました。
「先生は(会うことが)だいじょうぶですか」
「長い時間は、だめです」
「日本料理の店を、知っています、行きます」
こうして、夕方6時半にその学生が来てくれ、私が消化のいいものを食べたい、と、辞書を使って説明したので、
「バイクでフォ(ベトナムのうどん)を食べに行きましょう。ミカンも買います」

ちょっと外に出るのがつらかったのですが、何か食べないことには体が持たないと思い、バイクの後ろにのって、HCMでもとても有名なフォの店と言うところへ行って、(今の私には味がわからないけど)とてもうまいんだというフォを食いました。ミカンも買いました。水っぽいアイスクリームもなめました。
そして今日(2月1日)です。
まだ、熱があるような気がします。なにしろ体温計と言うものがありません(学校長の家庭にはありますが)ので、気温と湿気のために暑いから熱いのか、それともやはり体が熱いのか、検討がつきません。

これは、異文化体験と言うより、生きていくということがどんなに面倒なことかという、なんとなくサバイバルという感じです。

今日はこれから、日本から遊びに来る何人かを迎えにタンソニェット空港に行きます。

結構大変ですよ、日本語教師って・・・。教えることより、生活が・・・。



最新の画像もっと見る