わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

karaoke ベトナム便り 112

2006年09月22日 | 日本語教師
こちらV-603.
さて、カラオケの当日です。(前回のつづきです)
このクラスのいつもの授業が始まる7:30に集まることになっています。
学校の職員はみんな、ほんとうに7:30に、しかも全員が来るかどうか疑っています。
まず、来ても3人かな? そうしたらどうしよう?
私も、気が気ではありません。
7:30になりました。
私は外に出て、待っていました。
来ました。Qさんが、お母さんのバイクの後ろに乗ってにこにこしてやって来ました。
それからしばらくして、Vさん。そしてDさんとHさん。Yさんが来ないので、学生に電話させようとしたところへ、「せんせー」と手を振ってやって来たのはまさしくYさん。
ちょうど7:30です。
学校の職員はみんな驚きです。
「へえ、遊ぶときはちゃんと来るんだ!」 

ベトナム人はカラオケの好きな人が多いようです。
多少音がずれていても、楽しく歌っています。

私は日本ではカラオケがそれほど好きな人間ではありませんでした。
でも、ここではちょっと変わりました。

日本の歌が備えてあるので学生たちがよく連れて行ってくれるカラオケの店があります。
そこへ行ったときには、私は中村雅俊の『ふれあい』を歌うことにしています。
この歌はテンポがゆっくりなのと、何よりもカラオケのモニター画面に出る歌詞にひらがなが多いからです。
この歌の中に『人はみな一人では生きてゆけないものだから』というフレーズがあります。
カラオケに来てまで日本語の勉強をしようとは思いませんから、意味を教えたりはしませんが、学生たちはここのフレーズがなんとなくわかるようで、いつも上手に合唱してくれます。

このクラスでもこの歌をうたいました。
やはり、みんな文字を拾いながら声を合わせてくれました。
そのとき私は、いままでにない小さな気持ちの高まりをおぼえました。
合唱した一体感とともに、教えたことのうれしさというようなものを感じたのです。

できの悪い子供といっしょに9ヶ月も歩いてきたのですから、私のこころに何かが自然に湧いてきたのでしょう。

私もベトナム語の歌をみんなが歌っているときには、画面のベトナム語を必死に読んで、彼らの歌に合わせます。
歌には声調がないので、アルファベットが読めればなんとか合唱できます。

みんな英語も結構達者です。
英語の歌は一緒に歌えます。

この日のカラオケは19歳の学生のYさんが、仕切ってくれました。
元気なYさんのパフォーマンスでとても楽しい1時間半でした。
(注文した飲み物はペットボトルの水3本だけでしたが・・・)



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