わたしは六百山

サイゴンでの365日を書き直す 

格差 ベトナム 便り 69 

2006年05月31日 | 雑想
こちらv-603.
前回私は突然、フェアトレードというような大仰なことを書きましたが、これには、わけがあります。
学校の受付のQさんもそうでしたが、雇われて働いている女性の多くが小学校もろくに出ていないという現実に接することが多いのです。ここデタム周辺のレストラン、ホテル、フォーの店、そんなところで働いている女性は、年齢は15、6歳からで、ほとんどが田舎から出てきて、住み込みやアパート住まい(一部屋に2~3人)で働いています。
彼女らはベトナムのアルファベットを読むことができます。音標文字ですから読めるわけです。日本人がひらがなとカタカナを覚えるのと同じです。
読み書きについては、天秤棒をかついだおばちゃんだって新聞を読むことはできます。書くほうは結構いい加減です。でも、単語のつづりが間違っていても、文章になってしまえば相手に通じるのであまり問題なさそうです。
この表面的な現象を見ただけで、外国人が、ベトナムという国は教育水準が高いと感心することがあるようです。確かに新聞はよく売れますし、よく読まれています。でも、それと教育水準とは別でしょう。
彼女らは、足し算引き算そして、簡単な掛け算までは出来ますが、たとえば、1000が10こでいくつになるか、と聞かれたらきっとわからないはずです。(これは、私の学生でも同じようなものです。~になります、という文型を教えるとき、ほとんどの学生がわからないと言います。もちろん、1000ドンのお金が10枚で10,000ドンになるというのは、すぐにわかります。つまり、抽象概念になるとだめなのです。)
それから、彼女らは割り算はまったくといっていいほどわからないようです。
彼女たちの月給は8000円程度で、そのほとんどを田舎の両親に仕送りします。自分が使えるお金はわずかです。つまり、家族を支えるためにサイゴンにでてきているのです。.
そして、30歳をすぎたころ、田舎へ帰って適当な(ぞんざいな言い方ですが)男と結婚するか、生涯を独身ですごすようです。
私は以前、この国に格差なんて存在しない、と書きましたが、それは、彼女たちはこういう現実を格差とは受け取っていないということを、言いたかったのです。彼女たちはこの現実を自然なものとして受け取っているようです。
つまり、格差というのは、一度横並びを感じた中で(一億総中流などとはやされた)、お金による幸せを体験した人たちが使う概念ではないのでしょうか。
そういう意味で、この国にはまだ格差はありません。
でも、貧しさはあります。都会での低辺層、田舎の農民、その人たちに、適当な仕事がないのです。
ここからは政治の世界です。

ところで、中国でもそうだそうですが、まず小金持ちになった家の子供から、肥満児になって行きます。
中国もベトナムも、豊かな体格は豊かな資産を意味します。それで、まずかわいい子供から豊かな身体にするのです。
サイゴンのここ1区には、いま、あちらにもこちらにも布袋さんのように丸々太った子供が(だいたいそういう子供は丸いめがねをかけている)よっとっと、と歩いています。
この小布袋の割合をみれば、豊かな層の増減がわかるように思えます。


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1 コメント

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Unknown (viet)
2006-05-31 22:07:47
確かに、ホーチミン市には太った子供をよくみかけます。識字についてですが、三十代のひとたちの識字率が低いように思います。バイタクのおじさんと話をしていて、携帯ベトナム語会話器のディスプレィ文字を見せても反応が無い、音を聞かせるとわかる。最初????となったのですが、すぐに読めないことに気がつきました。ちょうど戦争が激しくなったころ子供だったということに気がついて、目がうるうるしてしまいました。
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