動乱の日本戦国史(呉座雄一著 朝日新書)を読みながら考えた
歴史学者は大変な仕事だとつくづく思う。このさして厚くない新書にも出典論拠を示しあらゆる資料を読み込んで、それでも多分学会のボスに配慮してだと思うが控えめに結論を書いておられる。涙ぐましい配慮がなされている一冊である。読者である私は、もっと一刀両断な新説を読みたいと思っているのにちょっと肩が凝るばっかりでスッカトしないなーと読み進めるしかない。真面目な人とは付き合いきれないなーと思いながらも話にものすごい重みがあるから読んでしまう。
桶狭間の戦は、決して奇襲戦法の勝利というのではなかったことを様々な納得できる数字をあげながら結論されている。これを奇襲戦法の勝利と言い出したのは、江戸時代の軍学者や明治になってからの徳富蘇峰のような作家であるらしい。なるほど軍学者も作家も売らないといけないから多少の誇張をやっているうちにいつの間にか誇張が本当とされるようになったのだろう。CMが繰り返し大声でなされると遂に本当になってしまうようなもんである。江戸時代も現代も似たようなもんだな。
しかし、昭和になって日本の軍隊の奇襲戦法は日本のお家芸であるという認識を高級軍人が持つようになってしまい国をミスリードする失敗のモトを作ってしまった。軍人さんは一切の講談本を禁止すべきであろう。この呉座さんのような真面目な研究本だけに特化すべきではないか。
講談本の弊害にはこんな例もある。できるだけヒトのやらない珍しいことをするのが桶狭間の戦いであってそれが勝ちにつながる。現にクリスマスケーキにイチゴを載せて大儲けした例があるからと、ミンミンゼミの鳴いている木の下でサツマイモの天ぷらを売ろうとしたが失敗したという話がある。これはとにかく珍しければそれで宜しいという考えで、見通しも何もたてていない。講談本の読み過ぎの弊害であろう。講談本の毒消しに呉座さんの本はちょうどいい。
秀吉の「惣無事令」(喧嘩禁止令)を歴史を変えたものとしてもっと評価すべきであるとおっしゃっている。そんなもんがあったんだという思いで読んだ。地方の領主の喧嘩を禁ずるのであるから秀吉は強い軍隊を持ちそれを派遣する財力を持っていたはずである。軍隊は武田軍団のように忠誠心が元手になっているのもあるでしょうが、大抵はおカネであろう。(ホンの数年前トランプ大統領は、軍隊を派遣するのには大変なおカネがいるんだとテレビの前で言っていた。正直な人である。)秀吉の財力はどこから来ていたのかに興味があるのだがそれはこの本には書いてくれていない。歴史学者とおカネは相性が悪いらしくて今まで満足のいく説明を受けたことがない。
想像するに、絹の貿易利権(課税権)ではないかと思われる。絹はそれを着る人の社会的地位の確認につながる。周囲へのマウントをとることにつながる。社会的序列が絹を着ることで上がる。ちょうど今のヒトが高級車に乗ることで社会的序列が上がったように本人が思うのと同様である。社会的序列これにはいくらでもおカネをかける性質が人にはある。ここ(すなわちマウントをとるためならいくらでもおカネを払う人間の性質)を握ると軍隊を派遣するほどの財力を握れるというのがわたしの説だけど呉座さんはどういうだろうか。きっとちゃんと調べてから言えというであろう。
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