断腸亭日乗 (永井荷風 岩波版)を読む⑳ あれは嘘であったようだ。
日乗には至る所付き合った女性の名前とどんなことしたかまで詳しく書いてあって、物価統制時の生活がどんなもんであったかを知りたく読んでいる者にははなはだ迷惑な部分です。こんなことまで書くのは、のちの世の人に読んでもらいたいためなんだろう、あざとすぎる人だなと思っていた。または、小説の種を仕入れるその仕入れの過程をもう一遍文章にしてお金儲けするのとはがめつい人だな。または、こんなこと書いてある文章に文化勲章はちょっとおかしくないかとも思った。
しかし、こうとも読める。付き合う女性を変えるのは新小説のネタを拾うためではなく、生きるエネルギーを得るためではないか。芸術への意欲と生きるエネルギーは同じものから得ている。その目で見ると、関根うたさんとの間に家庭的な平穏な生活をしていると元気がなくなるようである。昭和三年(荷風49歳)の年末には元気がなくなったと書いてある。しかし昭和五年一月には、山路さん子という新しい女性を得て再び元気と創作意欲を取り戻している。(ついでにこのころは不景気の時代)普通に考えれば芸術のエネルギーを多少失っても平穏で寂しくない老後の準備をすればよかったものを、わざわざ困難な道を選んでしまい不幸な人になってしまう分かれ道はこの昭和五年一月(荷風51歳)にあった。芸術家に不幸はつきものとはこのことが原因かもしれない。しかしそうでないと芸術家としては大成しない。
北斎は何十回も引っ越しした。部屋が汚くなると掃除するのが面倒で引っ越したとする評論家がいるが、多分環境を変えることが創作に大きな利得があったとみることができる。荷風が発見した小説家谷崎潤一郎は、東京から芦屋に居を移して新たな創作のエネルギーを得たようである。それと同じように環境をどんどん変えねば創作のエネルギーの枯渇するものなのだろう。芸術家の中には、鶏を描き始めたら鶏ばっかり、カボチャを描いたらカボチャばっかりですごい人もいるけど芸術家とはどんどん自分を変えていかねば成り立たない商売ではないか。
ならば今も多分義務教育では大事な徳目として教えているであろう「うまずたゆまずこつこつと努力することが良いことである。」①というのは、全く役立たないどころか生命力を保持するためには邪魔なことではないのか。そんなあほらしいことを大きな声で教えているとこへ行きたくないというのが、不登校児童生徒の思いではないのか。
さらにこれも中学あたりで盛んに教え込まれた気がするが「性の衝動を抑えれば、芸術のエネルギーに昇華される」②という教えはどうなんだ。荷風さんは衝動を抑えなかったので芸術のエネルギーを得た。抑えているときは元気を失った。この教え②を言い募った人物(誰であるか知らないが)と荷風さんを対決させたいもんだ。どんな警句を荷風さんがひねり出すか。
わたしは①も②も従順な工場労働者を作り出すための洗脳の言葉ではないかと強く疑う。
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