本書は国際武道大学で
日本思想や身体文化を専門とする著者が
虚実ないまぜに伝えられる宮本武蔵について
原資料や五輪の書の解読、
そして、今日まで伝わる二天一流の剣術を参照し、
その実像に迫る著作です
【本書の構成】
序章では、資料批判を行うことによって
現在一般に知られている巌流島の決闘や吉岡一門との対決は
後世の脚色であることを指摘する。
1章から3章では
原資料を元に、宮本武蔵の実像について
年代を追いながら描く。
4章では
武蔵が記した最も重要な著作である『五輪書』を
他の著作や、現在に伝わる二天一刀流を参照しつつ読み解く。
終章では
武蔵の兵法道が生まれた時代的背景と
武蔵の死後、その思想がどの様に受け継がれていったのかを
コンパクトに解説したうえで
武蔵の人物像についてまとめる。
【筆者の主張】
今日まで伝わる武蔵像は、その多くが
後世の創作に由来している。
実際の武蔵は、戦国から江戸時代へという大きな時代の変化の中で、
合理的で体系的な思考を生みだし、
それを身体的に、そして、生き方のうえで実践した
屹立した個人であった。
【感想】
武蔵という
伝説がほぼ定式化した人物について
いまさらその『実像』に迫るという作業は
正直、あまりおもしろそうとは思えませんでした。
しかし、筆者が本書で展開する
精神論や感覚的な描写に流されない記述や
二天一刀流の実際の動作を踏まえた解説は
堅実であり、すぐに好感を抱きました。
なかでも、
武蔵の兵法論が
実戦を知らない武士が増えることへの危機感と
実戦の時代が終わり、武術が集団戦闘を念頭に置いたものから
個人単位のものへと変化する中で生まれた
という指摘や
武蔵の思想が
歳月を経るにつれて、どんどんコンパクトで
体系的になっていくという指摘は、
どれもとても興味深く、
本書で示される、合理的・体系的な思考をもった武蔵像は
私が接したどの武蔵像よりも魅力的であると感じました。
さらに、終章で記される「兵法の道」の歴史的展開は
愛州移香らから塚原卜伝、上泉信綱をへて
柳生一門や武蔵
さらに山鹿素行、北辰一刀流
明治以降の武蔵の「再発見」までもを射程に含む壮大なもので、
短いながらも、とても多くの示唆に富みます。
個人的には、本当に久しぶりに夢中になって読んだ新書。
歴史や時代小説などに興味のある方には
ぜひ読んでいただきたいです☆☆☆☆
日本思想や身体文化を専門とする著者が
虚実ないまぜに伝えられる宮本武蔵について
原資料や五輪の書の解読、
そして、今日まで伝わる二天一流の剣術を参照し、
その実像に迫る著作です
【本書の構成】
序章では、資料批判を行うことによって
現在一般に知られている巌流島の決闘や吉岡一門との対決は
後世の脚色であることを指摘する。
1章から3章では
原資料を元に、宮本武蔵の実像について
年代を追いながら描く。
4章では
武蔵が記した最も重要な著作である『五輪書』を
他の著作や、現在に伝わる二天一刀流を参照しつつ読み解く。
終章では
武蔵の兵法道が生まれた時代的背景と
武蔵の死後、その思想がどの様に受け継がれていったのかを
コンパクトに解説したうえで
武蔵の人物像についてまとめる。
【筆者の主張】
今日まで伝わる武蔵像は、その多くが
後世の創作に由来している。
実際の武蔵は、戦国から江戸時代へという大きな時代の変化の中で、
合理的で体系的な思考を生みだし、
それを身体的に、そして、生き方のうえで実践した
屹立した個人であった。
【感想】
武蔵という
伝説がほぼ定式化した人物について
いまさらその『実像』に迫るという作業は
正直、あまりおもしろそうとは思えませんでした。
しかし、筆者が本書で展開する
精神論や感覚的な描写に流されない記述や
二天一刀流の実際の動作を踏まえた解説は
堅実であり、すぐに好感を抱きました。
なかでも、
武蔵の兵法論が
実戦を知らない武士が増えることへの危機感と
実戦の時代が終わり、武術が集団戦闘を念頭に置いたものから
個人単位のものへと変化する中で生まれた
という指摘や
武蔵の思想が
歳月を経るにつれて、どんどんコンパクトで
体系的になっていくという指摘は、
どれもとても興味深く、
本書で示される、合理的・体系的な思考をもった武蔵像は
私が接したどの武蔵像よりも魅力的であると感じました。
さらに、終章で記される「兵法の道」の歴史的展開は
愛州移香らから塚原卜伝、上泉信綱をへて
柳生一門や武蔵
さらに山鹿素行、北辰一刀流
明治以降の武蔵の「再発見」までもを射程に含む壮大なもので、
短いながらも、とても多くの示唆に富みます。
個人的には、本当に久しぶりに夢中になって読んだ新書。
歴史や時代小説などに興味のある方には
ぜひ読んでいただきたいです☆☆☆☆