写真を整理していたら こんな大昔の写真が出てきました。<<セピア色の思い出>>ですね。
姉はこの写真を大変嫌悪していて 非常に怒ります。そりゃあそうです、ちゃんと撮ってもらえてないなんて 悲しいです。私にとっても 複雑。
うちの両親は 二人ともこういうところがありました。感情のままに分け隔てをするというか。人は良いんですが 単純というか。人情の機微に乏しかったですね。
私は三女で生まれたので 跡取りの男の子が貴重とされた昭和の時代 どんなにか皆 がっかりした事かと思います。でも 小さいので 姉たちより可愛がられました。
次に弟が生まれ、 弟は 両親から溺愛され その結果、小さい頃はいたずらは仕放題 同級生を泣かしたり、欲しいものは全て買ってもらえ 可愛がって育てると人間はダメになる見本のような人に育ってますねえ。(ここだけの話💦)
鼻よりほっぺのほうが高いね!
私は小さい時 泣き虫で 泣き止むようによく祖父にお仕置きでお蔵に入れられた記憶があります。小さな窓しか無いお蔵の中は 薄暗くオバケが出そうな それはそれは怖い所です。
それをいつも重い鍵を開けて 助けにきてくれたのが 祖母でした。 学校にも通わなかった祖母なので文字も書けない無学な祖母ですが、とても優しい人でした。
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私が学校で文字を覚え 祖母に最初に教えてあげたのが「ゆき」という祖母の名前でした。苗字は画数が多くて覚えようともしないので 名前から教えてあげました。
広告の裏や いろんな紙の隙間に ゆき の字を幾つも嬉しそうに書いていましたね。他にも続けて教えてあげたかったのですが 他の字を覚えると ゆき の書き方を忘れそうなので これだけでいいと。
祖父にはお蔵によく入れられたけど 可愛がってももらって 老人会の温泉行きなど 必ず私を連れて行ってくれました。半世紀以上も経って 姉たちからそれを羨んで悔しかったと聞かされた事があります。それを今更 私に言われてもねえ・・・祖父に言ってくれ。☘
次に その祖父と祖母の馴れ初めを書いてみたいと思います。笑えます。(続く)