内村鑑三 『後世への最大遺物』
「金も実に一つの遺物でありますけれども、私はこれを最大遺物と名づけることは出来ない。事業も実に大遺物たるに相違ない。殆ど最大遺物といってもよろしいございますけれども、未だにこれを本当の最大遺物と言う事は出来ない。文学も実に貴いものですが、私がこれをもって、最大遺物という事は出来ない。最大遺物という事の出来ない理由は、一つは誰にでも出来る遺物でないから、最大遺物という事は出来ないのではないか、と思う。
それなら、最大遺物とは何であるか。私が考えますに人間が後世にのこす事の出来る、そうして、これは誰にでものこす事の出来るところの遺物で利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚な生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思います」
一個の人間の生きた生涯、しかも、「勇ましい、高尚な生涯」こそが、誰にでも遺せる最大の遺物と、結論に達する。
それで、こう訴えかける。
「それでも、どうぞ後世の人が我々についてこの人たちは、力もなかった。富もなかった、学問もなかった人であったけれども、己の一生涯を銘々(めいめい)持って居った主義のために送ってくれたと言われたいではありませんか。これは、誰にでものこすことの出来る生涯ではあります」
内村鑑三の言う「主義」とは、それがなければ、自分が生きていけないものだろう。資本主義とか、唯物主義の主義ではない。その人の主たる義だろう。
今、こういう文章を読むと、気骨ある人物の志がその言葉一つ一つから感じられる。なぜか、僕の気持を励ましてくれる。
明治の人は高い理想をもっていたのだな、と現代の競争社会の時代にあって、とくに思う。
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