山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

情熱

2010-08-06 22:32:06 | Weblog
 先日、ある学校の先生と話をしていたら、中国の有名大学の付属中学校、高校の先生が視察に来ていたときの話をしてくれた。中国では受験戦争が加熱して通常学校のカリキュラムにおかれている体育の授業を他の科目に置き換えて授業を行っている学校が多いという。

 この付属学校はエリートスクールであることから将来の中国を背負う人材育成を担っているという。そんな状況で勉強ばかりさせていて人格的にその任を担う人物が育つのかという漠然とした疑問を持っており、日本の体育・スポーツ環境を視察に来たそうである。

 放課後であったために、体育館、校庭はもちろん、通路などあちらこちらで熱心にスポーツに取り組んでいる風景をみてビックリしていたという。そして質問したのは
「指導されている先生達に学校はどのぐらい指導料を支払っているのか。」
これに対して
「放課後の課外活動は教育活動の一貫だから特別な支給はしていない」と答えたという。
相手はこの答えにとても驚いたという。そこで日本の先生は
「この先生方は自分たちが生徒だった時にも熱心な先生に教えてもらっていたに違いない。そして、そういった先生方に憧れもあって先生になり、クラブを指導するのは当たり前という感覚があるのだと思う」と答えた。
中国の先生は「まあ、そういうことなのか」と答えながらも納得していなかったようである。

 年配の方々に言わせれば昔の先生は聖職であり、素晴らしい先生が多かったが最近では・・・となるのかもしれない。しかし、私の知る限り、多くの先生方は心血を注いで指導をされている。夏休みは合宿、試合の季節である。先生は生徒達の交通費を浮かすためにバスを運転して全国どこにでも行く。試合に勝ったり、強い選手を育てれば自分の名誉にもなるが、「名誉をあげるからやれ」と言われても断りたくなるような過酷な毎日である。お金をもらうどころか、出ていくことのほうが多い。

 熱心なあまり「やりすぎ」てしまう指導者もいる。それでも、選手をいじめるためにやっている指導者などいない。指導のやり方について間違っているところは矯正していく必要はある。しかし、指導法についていえば「これが正しい」という方法もない。

 私の持論は「良い指導者は、さらに良い指導者を生む」である。熱心な指導者に教わった選手は、将来自らも指導者になりたいと思うということである。熱心に、愛情をかけて教わった生徒達は自分が指導者になったとき、同じように生徒達に愛情を注ぐ。

 日本の柔道が長い歴史の中で競技力を維持しながら脈々とつながってきたことは、指導者の力が大きい。指導者が次の指導者(選手)にタスキを渡してきたからである。その原動力は選手を強く逞しく育てたいと思う「情熱」である。

 相撲界がそうであるように柔道界にも「柔道界の常識は世間の非常識?」と思えるようなことがないとはいえない。専門的な世界には少なからずあるはずだ。狭い見識で伝統という隠れ蓑に甘んじてきたところもあるだろう。もっと外部の人にも入ってもらってご意見をいただき、耳を傾けなければならない。

 変革すべきところは積極的に取り組むべきである。ただし、自虐的にばかりなる必要もない。日本には世界に誇るべき指導者が大勢いる。強い道場、強い学校に限らない。暑くても寒くても毎日道場に立っている指導者が日本の柔道を支えている。私はそんな指導者こそ財産であると思うし、心から誇りに思う。