山口 香の「柔道を考える」

柔道が直面している問題を考え、今後のビジョン、歩むべき道を模索する。

無過失責任

2010-08-01 16:14:23 | Weblog
 先日、日本スポーツ学会で代表理事を務める永井憲一(法政大学名誉教授)の「国民のスポーツ権とスポーツ文化ーその現在と未来を考えるー」という講演を聴いた。永井先生は憲法・教育法の専門家で東京大学他国内30あまりの大学で講師を務められている。スポーツ権という言葉を使い始め、早い時期からスポーツ省庁の必要性に言及された方である。

 今回の演題を聞いた時に、さぞや固い話で眠くなってしまうのでは・・・と思って行ったのだが、話はわかりやすく、眠くなる暇もなくあっという間の1時間であった。憲法の保証しているどの部分がスポーツをする権利に言及しているのか、なぜ権利として認める必要があるかなど、これまで深く考えてみたことのなかった根本の部分がよく理解できた。

 スポーツと法律というと、はじめのうちは学校での事故などを扱う弁護士の関心が強かったという。そこから学校での事故について話があった。日本の法律の問題は、「過失主義」にあるという。例えば柔道の練習中に起きた事故の場合、教師(学校)に過失があったと証明できなければ賠償されない。先生は学校で起きたいかなる事故や怪我であっても「過失主義」ではなく、「無過失責任」とするべきだと説かれた。子どもは、冒険や挑戦することによって成長していく。それらは当然リスクを伴うケースが多い。確かに小さい子どもは親がビックリするような高いところから飛び降りたりするものだ。学校は子供達が挑戦する場であるのだから、そこで起きた怪我や事故(健康が損なわれた場合)については過失があろうとなかろうと国の責任として保障するべきであるという。

 柔道現場で事故が多く報告されていることもあって、「無過失責任」という考え方に目から鱗のような感覚を得た。学校や教師は、安全管理を徹底し、注意を怠らないことは当たり前であるが、不幸にも事故が発生してしまうことはある。深刻な事故が起きたケースをみると、保護者は当然のことながら原因を究明しようとするが教師や学校側は過失があったと指摘されることを恐れ、情報をすべてオープンにしようとしないことが多い。その結果、事故の原因がきちんと検証されるのに時間がかかり、情報が操作されてしまうことも少なくないのではないか。原因が究明されなければ事故の再発を防ぐこともできない。

 もちろん、怪我や事故といってもケースによって違いはあると思う。しかしながら、障害が残ってしまったケースなどは過失の有無にかかわらず保障が行われれば裁判などで長い期間争うという二次的な負担が大きく軽減されるのではないだろうか。また、教師にとっても「何か事故が起きたら・・」という漠然とした不安が軽減される。

 怪我や事故を未然に防ぐ努力を怠ってはならない。しかし、同時に子供達が挑戦する機会が損なわれることもあってはならない。そういったことから、永井先生の言われた「過失主義」から「無過失責任」という考え方に法律を変えていくということも考えていくべきではないだろうか。スポーツ選手から国会議員になった方々には是非競技スポーツのみならず、こういった部分にも着目してもらい議論を進めてもらいたいと願う