カンボジア人の噂好きはそうとうなものだ。あることないことの噂がとびかい、ときにそれは情報操作のかっこうの種ともなる。くだらない噂も多いので聞き流しているが、カンボジアの事情がわかってくるにつれ、それも仕方のないものかもと思う。この国では絶対的に娯楽の数が少なく、絶対的にひまな時間が長いので、自然と彼らはおしゃべりの時間が多くなる。それにしてもカンボジア人の話しっぷりには本当に驚かされる。ほっておけばノンストップでいくらでも、くだらない話を続けられる。私もかなり話好きの方だが、内容がない話をずっとしているのは拷問に近い。ましてや人の噂話など永遠に続けられるものではない。噂話をしている時間があったら、私は本を読んでいたい。自分にとって、大切なものとそれ以外のものに区別すると、それ以外のものは誰が何を言おうと、正直どうでもいい。大切なものなんて、じっくり探してみても実はそう多くはない。しかし、一部の人をのぞいて、本も読まない、新聞も読まない、基本的にあまり考えることがない、とないないないがそろったこの環境で、人々が噂話にヒートアップするのはある種、自然のような気がする。それがゴシップや恋愛などであれば、盛り上がるのも必然だ。
カンボジア人のすごいところはその噂の情報収集能力と伝達能力、そして話の拡大能力がはんぱじゃないことだ。勉強や仕事もこの勢いでやってくれればいいのだが・・・。まるで人類皆兄弟かのごとく、噂が広まる広まる。まあ、噂なんてたいていそんなものだが、あることないこと、それはそれはよく広まり、この人までも?と思う人が知っていたりして感心する。驚くべきことは、自分が何をしなくても情報がどんどん入ってくることだ。最近クメール語がだいぶわかってきたこともあり、スタッフみんなが次から次へといろいろ教えてくれる。料理や掃除を担当しているハウスキーピングスタッフさえも、めずらしく「先生!」と呼ばれていってみると「家政婦は見た!」状態で次から次へと新情報を教えてくれる。なかには「どうせ日本人にはクメール語がわからない」と私の隣で日本人についての噂を大きい声でべらべらしゃべっているカンボジア人もいるが、そんな話は私の語学力でさえ、かなりの割合で理解できる。こんなときクメール語がわからない方がいいなと思う。
おそろしいのはその噂にまったく信憑性がかけていようとも、みんなが信じることだ。火のないところに噂はたたないというから、まったくない話ではないだろうが、普段は疑い深いカンボジア人も、噂話となれば別のようで、ガンガン話は誇張される。そして、基本的に「他人事」の場合、彼らの話はどんどんエスカレートしていくのである。これが当人だったら大変なことであろうが、こういうとき、本当にカンボジア人の「他人事」感覚に少し辟易する。当人であれば何をするかわかならいくらいの怒りをあらわしても、他人事となれば何でもありのカンボジア人だ。
噂話に関して思い出したのが日本のワイドショー。くだらないとかなんだかんだといわれても、日本のワイドショー番組はテレビに欠かせないものである。視聴率だってけっこう稼いでいる。朝のゴールデンタイムにあれだけ各局揃って放送しているのだから。もう少しろくな番組がないかと思うが、見たい人がいるからこそ番組が存在しているのである。いつも思うのはカンボジアにこれがあったら、流行るだろうなということだ。新聞に被害者の写真も名前もでるほどに、プライバシーもくそもあったものではないこの国のことだから、大変なことになるだろうけど・・・。マスコミで流すようなゴシップに国民が食いつけば、もう少し市井のくだらない噂は少なくなるかもしれないと思う今日このごろ、カンボジア人から届く新着情報はとどまることをしらない。