写真のスターバックスのようなコーヒー。自販機で売ってたんですよ。120円。最近は自販機のコーヒー、そこらのファーストフードのものより遙かにうまいですね。びっくりしました。
さて、土曜日は朝4時半に起きて、かみさんの義理の姉を成田空港に送って行きました。3ヶ月という期間は長いのか短いのか、息子はすっかりおばさん派になっています。しかし、他の家族と暮らすというのは難しいものです。やはり生活習慣や考え方が違いますからね。あっ、それは義理の姉がフィリピン人(外国人)だからではないですよ。最近、確信しましたけど、人種による習慣の違いよりも、性格や各家庭の生活習慣の方が遙かに影響力が大きいのだということが。
そうは言っても、彼女のおかげで、幸宏師匠のコンサートに行けたし、かみさんと飲みに行くことができたし、休みに日は二人きりで散歩、買い物ができたし、良いこともたくさんありました。一番はかみさんが息子や娘の事でいろいろ動くことができたことでしょう。息子についてはコムスン、学童、ボランティアの女性と有効に使える手段を調べることができました。
一番良さそうなのはどうやらボランティアのお姉さんらしいですが、大学生だそうで、息子はどうもお姉さんが好きなようで、特に若い人が・・・。まあ、男ですからね。
まあ、そんな感じで、複雑な気持ちです。しかし、土曜日の移動というのは結構きついんですよね。一週間の疲れがたまったピークですから、しかも朝早いと来たら、眠いことこの上ないのです。だから、当日の朝は眠くてしょうがない。シャワーをして、インスタントコーヒを飲んで、空腹を押さえるのに、ウイダーインゼリーを飲みました。ある程度目が覚めましたが、運転し始めるとやっぱり眠いんですね。朝は結構冷え込んでますから、車の暖房も結構効かせていたんで、それも効果倍増です。すぐに中央高速に入れる環境に住んでいるので、空いている時間は楽ですが、まだ暗い中の出発です。夜に弱い僕は眠さも相まって高速には行ったら、ゆっくり走っているバスがいるではないですか、これ幸いと後ろにくっついて走っていました。かなりゆっくりなので、他の車がびゅんびゅん抜いていきます。
これにかみさんは不満なようです。いきなりちょいぎれです。おかげさまで少々目が覚めましたが...。しばらく行くと少々混んできました。それでもまあまあのペースでレインボーブリッジを渡り、東関道に入り、まだ日が昇る前に、湾岸幕張PAに着きました。
トイレに外へ出ると、やはり寒い。まだ太陽が見えません。すぐにコーヒーが飲みたいと思いました。かみさんはココアが飲みたいというので、自販機で紙コップ入りのコーヒーを買いに行くことにしました。建物の前にも自販機ができていましたが、150円か200円でした。高めなので、いつものように100円のネスカフェでと建物の中に入りました。少々販売機が変わっているようです。(成田空港へはよく行くので、幕張PAは良く覚えていて・・・)
そしてココアを探すと100円のが見つかったので、迷わず買いました。出来上がりまでのランプがついて行くのを待って、自動的にドアが開くと出てきたのは...。
そうです。写真の容器なんですよ。ふたが閉まって出てきました。びっくりしました。どうやっているんでしょうか。既にテレビなどでは放映されているのかもしれませんが・・・。
ふたの吸い口から飲むのは熱くていただけませんが、冷めにくくこぼれないという効果は高いですね。そんな熱々のコーヒーを車へ持ち帰って飲みました。ようやっと目が覚めたという感じでした。コーヒを飲み終えて、出発すると、少し明るくなり始めてきたようです。PAから高速に出ると、目の前には!!
オレンジ色の朝日が雲間から顔を出していました。まだ暗い明け方にはまぶしいぐらいです。何となく気分が良く、朝日に向かって、成田空港までの後少しの距離を走り出しました。
成田空港に着くと、もう7時を回っていたため、義理の姉はすぐに出国手続きをして、そのまま入って行くことになりました。息子と娘と待っていた僕はすぐに駆けつけると、義理の姉はもう中へ入ろうとしていました。ちょっとの間引き返してくると息子は一緒について行こうとします。引き戻しいやがる息子は床に座り込みました。
別れ際、義理の姉が見えなくなると、袖で涙を拭う仕草を見せました。僕の方を振り向いた息子の目は赤くなっていました。帰った後はもう一切義理の姉の名前は出てきませんが、一応別れを理解しているようです。もう何度かこのゲートをくぐって行くフィリピンの親戚を見送っていますからね。やっぱり寂しかったのかな?
この後、空港のマクドナルドで朝食を買って、最初のPAで食べているときに、マクドのコーヒーが朝に飲んだコーヒーに比べてひどくまずかったのです。そしてこのコーヒーカップが何となく捨て難くなって家に持って帰り、写真を撮ってこの記事を書いてみたわけです。
夜明けのコーヒー、思い出に残る味でした。
あとがき
この日はさすがに疲れました。帰り着いたのはまだ10時だったので、家族で散歩と買い物に出かけ、昼ご飯を食べたあとに、このブログを書こうと、コーヒカップの写真を撮って、そう言えば年賀状まだだったなと思い出しました。パソコンを新しくしたのを思い出してインストールを始めたらもう眠くて耐えられなくなり、いすにそのまま眠ってしまいました。気が付いたら夕方でした。いなくなって感じるのは気を使わなくて済むようになったこと、ある意味ホッとしましたが、日々の生活はやはり忙しくなりました。
さて、土曜日は朝4時半に起きて、かみさんの義理の姉を成田空港に送って行きました。3ヶ月という期間は長いのか短いのか、息子はすっかりおばさん派になっています。しかし、他の家族と暮らすというのは難しいものです。やはり生活習慣や考え方が違いますからね。あっ、それは義理の姉がフィリピン人(外国人)だからではないですよ。最近、確信しましたけど、人種による習慣の違いよりも、性格や各家庭の生活習慣の方が遙かに影響力が大きいのだということが。
そうは言っても、彼女のおかげで、幸宏師匠のコンサートに行けたし、かみさんと飲みに行くことができたし、休みに日は二人きりで散歩、買い物ができたし、良いこともたくさんありました。一番はかみさんが息子や娘の事でいろいろ動くことができたことでしょう。息子についてはコムスン、学童、ボランティアの女性と有効に使える手段を調べることができました。
一番良さそうなのはどうやらボランティアのお姉さんらしいですが、大学生だそうで、息子はどうもお姉さんが好きなようで、特に若い人が・・・。まあ、男ですからね。
まあ、そんな感じで、複雑な気持ちです。しかし、土曜日の移動というのは結構きついんですよね。一週間の疲れがたまったピークですから、しかも朝早いと来たら、眠いことこの上ないのです。だから、当日の朝は眠くてしょうがない。シャワーをして、インスタントコーヒを飲んで、空腹を押さえるのに、ウイダーインゼリーを飲みました。ある程度目が覚めましたが、運転し始めるとやっぱり眠いんですね。朝は結構冷え込んでますから、車の暖房も結構効かせていたんで、それも効果倍増です。すぐに中央高速に入れる環境に住んでいるので、空いている時間は楽ですが、まだ暗い中の出発です。夜に弱い僕は眠さも相まって高速には行ったら、ゆっくり走っているバスがいるではないですか、これ幸いと後ろにくっついて走っていました。かなりゆっくりなので、他の車がびゅんびゅん抜いていきます。
これにかみさんは不満なようです。いきなりちょいぎれです。おかげさまで少々目が覚めましたが...。しばらく行くと少々混んできました。それでもまあまあのペースでレインボーブリッジを渡り、東関道に入り、まだ日が昇る前に、湾岸幕張PAに着きました。
トイレに外へ出ると、やはり寒い。まだ太陽が見えません。すぐにコーヒーが飲みたいと思いました。かみさんはココアが飲みたいというので、自販機で紙コップ入りのコーヒーを買いに行くことにしました。建物の前にも自販機ができていましたが、150円か200円でした。高めなので、いつものように100円のネスカフェでと建物の中に入りました。少々販売機が変わっているようです。(成田空港へはよく行くので、幕張PAは良く覚えていて・・・)
そしてココアを探すと100円のが見つかったので、迷わず買いました。出来上がりまでのランプがついて行くのを待って、自動的にドアが開くと出てきたのは...。
そうです。写真の容器なんですよ。ふたが閉まって出てきました。びっくりしました。どうやっているんでしょうか。既にテレビなどでは放映されているのかもしれませんが・・・。
ふたの吸い口から飲むのは熱くていただけませんが、冷めにくくこぼれないという効果は高いですね。そんな熱々のコーヒーを車へ持ち帰って飲みました。ようやっと目が覚めたという感じでした。コーヒを飲み終えて、出発すると、少し明るくなり始めてきたようです。PAから高速に出ると、目の前には!!
オレンジ色の朝日が雲間から顔を出していました。まだ暗い明け方にはまぶしいぐらいです。何となく気分が良く、朝日に向かって、成田空港までの後少しの距離を走り出しました。
成田空港に着くと、もう7時を回っていたため、義理の姉はすぐに出国手続きをして、そのまま入って行くことになりました。息子と娘と待っていた僕はすぐに駆けつけると、義理の姉はもう中へ入ろうとしていました。ちょっとの間引き返してくると息子は一緒について行こうとします。引き戻しいやがる息子は床に座り込みました。
別れ際、義理の姉が見えなくなると、袖で涙を拭う仕草を見せました。僕の方を振り向いた息子の目は赤くなっていました。帰った後はもう一切義理の姉の名前は出てきませんが、一応別れを理解しているようです。もう何度かこのゲートをくぐって行くフィリピンの親戚を見送っていますからね。やっぱり寂しかったのかな?
この後、空港のマクドナルドで朝食を買って、最初のPAで食べているときに、マクドのコーヒーが朝に飲んだコーヒーに比べてひどくまずかったのです。そしてこのコーヒーカップが何となく捨て難くなって家に持って帰り、写真を撮ってこの記事を書いてみたわけです。
夜明けのコーヒー、思い出に残る味でした。
あとがき
この日はさすがに疲れました。帰り着いたのはまだ10時だったので、家族で散歩と買い物に出かけ、昼ご飯を食べたあとに、このブログを書こうと、コーヒカップの写真を撮って、そう言えば年賀状まだだったなと思い出しました。パソコンを新しくしたのを思い出してインストールを始めたらもう眠くて耐えられなくなり、いすにそのまま眠ってしまいました。気が付いたら夕方でした。いなくなって感じるのは気を使わなくて済むようになったこと、ある意味ホッとしましたが、日々の生活はやはり忙しくなりました。