初心に戻って、僕のことについてもう少し、ちゃんと書いてみましょう。まずは趣味の音楽のこと。
近頃、YMO関連のCDが再発され、密かにブームが起こってる?ようだけど。YMOは自分の人生に影響を与えるほどの存在でした。コンサートにこそ一回しか行っておりませんが、そうめったなファンには負けません。
今の仕事をしているのも、YMOの存在が関係しているのです。
ゲルマラジオから、電子ブロックと電子製品に興味があった僕は当然のごとくオーディオマニアとなり、金がないので、雑誌ばっかりで、その知識を増やして行った。その前に、BCLと言うものがはやっていたので、海外の放送を短波放送で聞くことが趣味でした。AM放送で国内の放送局のベリカードを集めていた僕は、当然短波放送で、海外の日本語プログラムも聞いていた。そんな中、日本短波放送の番組で、大橋照子というアナウンサーの番組で(誕生日が同じだったのでよく覚えてます。)、日本のシンセサイザーの先駆者、富田勲のコーナがありました。よく聞いていたものです。従って、ラジオ、オーディオ、シンセサイザとテクノポップ等の電子音楽が好きになる環境が育っていきました。BCLブームの後はオーディオとFM雑誌がブームとなり、必然的にラジオを聞く機会が増え、音楽をよく聞くようになったのです。
そんな中、FM放送の中でYMO(Yellow Magic Orchestra)がコンピュータミュージックの一つとして紹介されました。富田勲を聞き慣れていた僕には、電子ロックの伴奏にフォークソングの歌手が歌ってるような奇妙な感覚を覚えました。同じシンセサイザーの音楽には聞こえませんでした。しかし、妙に印象に残り、レコード屋に行ったのです。その当時は歌謡曲(太田裕美)が主に聴いていた音楽だったので、正統派からずれたようなレコードを買いに行く気になったのは初めてのことでした。
「Solid State surviver」が最初に買ったもので、その後ファーストアルバム(アメリカ版ではなくオリジナルの方)を購入しました。ホントに溝がなくなるぐらい聞いていたと思います。その後、高橋幸宏の音楽殺人を購入して、洋楽を本格的に聴いたことのなかった僕には、幸宏の音楽殺人は歌詞が英語であったこともあり、UKの音楽を聴いているような錯覚に陥らせました。でも、これもはまったのです。溝がなくなるまで、曲の詳細を覚えるぐらい聞きました。
そして、YMOブームはものすごい勢いで巻き起こりました。その周辺でうごめいていた80’Sのミュージシャンたちが、国内外問わずYMOの影響を受け始めました。そして、坂本龍一のFM放送の番組サウンドストリートなども始まり、いろいろな音楽を聴くようになりました。しかし、根底にはシンセサイザーがありました。彼らはシンセサイザーだけではなく、パソコンを使って、フレーズを自動演奏させることも行っていました。
当時はアップルのマッキントッシュが主流だったので。
これが、パソコンに多少なりとも興味を持たせたきっかけなのですが。元もとハードウェア指向の僕は、シンセサイザに興味があり、卒業後もKORG、カシオなどに就職しようと、試験を受けましたがだめでした。このときの面接で聞かれたことは今でも覚えています。あなたはソフトウェアに興味がありますかと。残念ながらハード試行であった僕には全く興味がありませんでした。そう、時代はアナログのシンセサイザーから、デジタルのシンセサイザーへ移り変わり始めた頃でした。ソフトウェアでシンセサイズする時代になっていたのです。(今はさらに進化して、当時のアナログシンセをデジタルで再現しています。)
そんなこんなで、結局ハードメーカは入れなかったので、当時はやりのソフトウェアメーカにはいるように大学からもアドバイスがありました。仕方なくかなりハードよりのソフトを行ってる会社に入ったのですが。ソフトウェアはソフトウェアでハードウェアとは違います。
しかしながら、入社した当初はあのアポロのスタッフが開発した、アポロドメインワークステーションを扱うことになったのです。今でこそウインドウズが主流ですが、当時ウインドウイメージのユーザインタフェースを持ってました。
会社に入ってからは、すっかり趣味としての音楽で、学生時代にできなかったシンセサイザーとマッキントッシュ(音楽向けソフトのため)を購入し、以降はオーディオ+シンセサイザーのたぐいのオンパレードでした。今でもシンセサイザーはキーボードが二台、ピアノ系が1台、他にシンセサイザーラックマウント式が2台、エフェクタ、ミキサ等々残ってます。
そして会社のクラブでバンドを始めて、今では休止中。お父さん業がきつくても、音楽だけは聖域。
スイマセン、シンカンセン、デンシャ。序章と言いつつもあまり考えずに書いたので、再度序章があるかも。
近頃、YMO関連のCDが再発され、密かにブームが起こってる?ようだけど。YMOは自分の人生に影響を与えるほどの存在でした。コンサートにこそ一回しか行っておりませんが、そうめったなファンには負けません。
今の仕事をしているのも、YMOの存在が関係しているのです。
ゲルマラジオから、電子ブロックと電子製品に興味があった僕は当然のごとくオーディオマニアとなり、金がないので、雑誌ばっかりで、その知識を増やして行った。その前に、BCLと言うものがはやっていたので、海外の放送を短波放送で聞くことが趣味でした。AM放送で国内の放送局のベリカードを集めていた僕は、当然短波放送で、海外の日本語プログラムも聞いていた。そんな中、日本短波放送の番組で、大橋照子というアナウンサーの番組で(誕生日が同じだったのでよく覚えてます。)、日本のシンセサイザーの先駆者、富田勲のコーナがありました。よく聞いていたものです。従って、ラジオ、オーディオ、シンセサイザとテクノポップ等の電子音楽が好きになる環境が育っていきました。BCLブームの後はオーディオとFM雑誌がブームとなり、必然的にラジオを聞く機会が増え、音楽をよく聞くようになったのです。
そんな中、FM放送の中でYMO(Yellow Magic Orchestra)がコンピュータミュージックの一つとして紹介されました。富田勲を聞き慣れていた僕には、電子ロックの伴奏にフォークソングの歌手が歌ってるような奇妙な感覚を覚えました。同じシンセサイザーの音楽には聞こえませんでした。しかし、妙に印象に残り、レコード屋に行ったのです。その当時は歌謡曲(太田裕美)が主に聴いていた音楽だったので、正統派からずれたようなレコードを買いに行く気になったのは初めてのことでした。
「Solid State surviver」が最初に買ったもので、その後ファーストアルバム(アメリカ版ではなくオリジナルの方)を購入しました。ホントに溝がなくなるぐらい聞いていたと思います。その後、高橋幸宏の音楽殺人を購入して、洋楽を本格的に聴いたことのなかった僕には、幸宏の音楽殺人は歌詞が英語であったこともあり、UKの音楽を聴いているような錯覚に陥らせました。でも、これもはまったのです。溝がなくなるまで、曲の詳細を覚えるぐらい聞きました。
そして、YMOブームはものすごい勢いで巻き起こりました。その周辺でうごめいていた80’Sのミュージシャンたちが、国内外問わずYMOの影響を受け始めました。そして、坂本龍一のFM放送の番組サウンドストリートなども始まり、いろいろな音楽を聴くようになりました。しかし、根底にはシンセサイザーがありました。彼らはシンセサイザーだけではなく、パソコンを使って、フレーズを自動演奏させることも行っていました。
当時はアップルのマッキントッシュが主流だったので。
これが、パソコンに多少なりとも興味を持たせたきっかけなのですが。元もとハードウェア指向の僕は、シンセサイザに興味があり、卒業後もKORG、カシオなどに就職しようと、試験を受けましたがだめでした。このときの面接で聞かれたことは今でも覚えています。あなたはソフトウェアに興味がありますかと。残念ながらハード試行であった僕には全く興味がありませんでした。そう、時代はアナログのシンセサイザーから、デジタルのシンセサイザーへ移り変わり始めた頃でした。ソフトウェアでシンセサイズする時代になっていたのです。(今はさらに進化して、当時のアナログシンセをデジタルで再現しています。)
そんなこんなで、結局ハードメーカは入れなかったので、当時はやりのソフトウェアメーカにはいるように大学からもアドバイスがありました。仕方なくかなりハードよりのソフトを行ってる会社に入ったのですが。ソフトウェアはソフトウェアでハードウェアとは違います。
しかしながら、入社した当初はあのアポロのスタッフが開発した、アポロドメインワークステーションを扱うことになったのです。今でこそウインドウズが主流ですが、当時ウインドウイメージのユーザインタフェースを持ってました。
会社に入ってからは、すっかり趣味としての音楽で、学生時代にできなかったシンセサイザーとマッキントッシュ(音楽向けソフトのため)を購入し、以降はオーディオ+シンセサイザーのたぐいのオンパレードでした。今でもシンセサイザーはキーボードが二台、ピアノ系が1台、他にシンセサイザーラックマウント式が2台、エフェクタ、ミキサ等々残ってます。
そして会社のクラブでバンドを始めて、今では休止中。お父さん業がきつくても、音楽だけは聖域。
スイマセン、シンカンセン、デンシャ。序章と言いつつもあまり考えずに書いたので、再度序章があるかも。