カボチャの部屋

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天皇と日本人の性癖

2012年10月23日 | 政治
天皇家のことを口に出すと、怒り狂う人が多い。
とくに、費用とからめた話のときには。

それは彼らが単に気が短いからということではなく、彼らの直感が、とても鋭いものだからであろう。
我々は、天皇というものを、「何だかよくわからないけれど、とにかく敬意を払わなければならないもの」だと感じている。

けれどもそれは幻想にすぎなく、天皇であってもただの人である。
彼らは、天皇への敬意が幻想でしかなく、幻想であるがゆえにたやすく壊れてしまうものであることを知っている。
そして、彼らの直感が、天皇家の話をお金の語法で語るな、と言っている(たぶん)。
なぜならば、お金はどんなに崇高なものであっても、俗物へと落としめる力があるからだ。

たとえば我々は、原発をお金の問題として語ることで、その危険性を忘れ、ときに人間がコントロールできなくなるものであることを忘れた。天皇家の行動をお金の問題で語ることそれ自体が、どこから来たのか分からない敬意を損ないうる。自分は天皇家に年間200億円が費やされることに不満を感じてはいないけれども、年間いくらまでの価値があるかを詳しく論じている人を自分は知らない。税金が絡むことならば何でも論じたがる日本人が、なぜ天皇家についてだけはそれを忌避するのか。

その議論の空白が示すものは、天皇家をお金の語法では語らせまいとする見えない力が存在することに他ならないだろう。


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