そういえば
4年10ヶ月ぶりに再会しても
あっさりしたもんだったっけか
よ、。ってなもんさ
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任侠第一シーズン。=穴むじのぼったあとに 5月。
誰もいない弓。がらがら
触り放題。
YWT、KTMのふるサポート貸切任侠。イチビンメでTopOut!
10回くらいさわってシーズン終了、。次のシーズンへ。最高の助走だった。
第二シーズン。
任侠トライ。本格開始。
11月から~3月いっぱい通った。一進一退ながら、、、ほぼわんてん。
しかし、3月までと自分に期限を設けていた。モチベーションもそれほど続かなかった。
でも、、、そのまま続けてたら登れたんだろな。
別にだらだらやってりゃよかったのだが・・・
まだその頃は、「通って落とす」スタイルに、一抹の反骨のカケラが残っていたのだろう。Os至上主義がそもそもわしのポリシーでもあるのだ。
3シーズン目。
もう、なにもこだわるものもない。なんせ、、苦しみから解放されてしまったが如く。。。。任唐ラインの順番が楽しくてしかたない。
ビレーはOZKになっていた。
2006Nシーズン。越冬、。そして2007N2/3 RP。
足掛け3シーズン。108便。
M代にみててもらいたかった。
でも、、ブログはしっかりチェックされてた。
「じらすんだから~~~、、もう」
って、感想はいまでも覚えている。
前日に 、、流れ星をみたのだった。
「あ、登れるな」
と、思ったことを
そんな文章をかきつづったままに
のぼれたことを書いたブログ更新がたまたま遅くなったのだろう。
そして
阿鼻叫喚のお祝い攻撃が始まった。
会社に祝福の電報が殺到。花も届きはじめる。
胡蝶蘭!!???だ、だれだ。。
会社も騒然。。。
脚色はこんなかんじ
どこまでがほんとでどこからが脚色なのか
真実はフィクションと紙一重。それは常に
思い出は更に脚色を深める。
登場人物は生き生きと物語の中で生息し、勝手に活躍し始め、
思い出の中で勝手気儘にワガママに
美しく生き生きと
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