追憶。
セキモトとS木を連れてきた。彼らの岩登りの最初がここ氷川屏風だったのだ。
ショニチからセキモトはわしがリードした4級、3級ラインではあきたらず、、、Topロープをいいことにあっちこっちと難しいラインへ飛び出していってしまい、ハラハラさせられたのだった。思えば、この二人、セキモトとS木で冬冨士も登ったのだった。
冬冨士では
彼らは若かった。わしゃ、、社会人になっていた。ガクセイの二人と5合目から登頂。
8合目で足が出なくなった。はあはあ、ぜえぜえ。一歩出すたびに息をついた。それに比べてヤツらは極めて元気だった。ぐぞーーーっと思いつつも、登頂してお鉢廻りもコナし、、さて下山。
と~ぜんのごとく尻せーど。と、、いつもの雪山のつもりでとっととすべってった。
早い早い。。。。が。・・・・は、早すぎる。途中で止まる。みんなも止まる。
が・・・・アイゼンを脱いでいたので立てない。そう。廻りはかちこちのブルーアイス。
ど、、どする>???なんとか傾斜のユルいとこまで移動してアイゼン装着。
しかも、、、下った方向がズレていた。放射状にルートが拡散してゆく下り。ちょとズレるともうタイヘン。正規ルートへ大トラバースとあいなった。(トラバースしてみると、富士山ものっぺりしてるわけではなく、きちんと尾根も沢スジもあるのだった)
この頃。わしゃ社会人1~2年目。セキモトがまだガクセイだったので、ちょくちょくクライミングにでかけてた。
また氷川屏風。せきもとと。A峰のスラブがいつものルートだったが今日は上の日当たりのいいC峰フェースへいってみた。
上半身裸の志賀光則がいた。イクイノシシ11dをトライしていた。いっしょにやりましょう!と気さくな一面をみせ、我々もトライに参加させていただく。
セキモトは出だしからムーブを解決し、、ほぼ全てのムーブを解決してしまった。
「おー、すごいですね。」
と、感嘆と賞賛を惜しみなく浴びせる志賀光則。さすがだな。セキモト。
もうチョットまえに湯河原幕岩では、、11bでトライ中の「良い子組み」中根穂高らだ。
に、やはり混ぜてもらい、連中の見ている前であっさりそのルートをOsしてしまったセキモトだったのだ。とにかく図抜けていた当時のセキモト。
わしゃ、イクイノシシ触らせてもらったけど、そのときは10クラスがやっとこさだから歯が立つわけがない。微塵もできずに敗退したのだった。
時がたち。フリークライマーとなって訪れた氷川屏風。90年代初頭だろう。
もはや11は登っている時期にもかかわらず、ムーブができないイクイノシシだった。特に、核心ができたとしても。。。。。上部フェースが全く解決できないのであった。。。
そして
あれから20年。
またこのルートの取り付きに立った。イクイノシシ。
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