>クリスマスやお正月が過ぎ、毎日の暮らしが落ち着き始めるこの時期、私は1年の抱負を静かに掲げ直すことにしている。
>テレビ局で年越しを迎え、生放送の歌番組で新年を祝った後、実家に帰る、という流れがここ数年すっかり定着した。
>福岡行きの機内で少し寝て、懐かしい実家の玄関でただいま帰りました! と元気よく言い、仏壇の前で手を合わせた後、いつもの席に着いて家族揃(そろ)って新>年のご挨拶。家長である祖父にお屠蘇(とそ)を注いでもらったら、やっとひと息だ。
>お年玉をあげる側になったことになかなか慣れない自分をちょっと笑い、母手作りのおせちを頬張りつつお酒をちびちびやる。東京でのあれこれを話すと、90歳を超>えた祖父が嬉(うれ)しそうに目を細める。少し耳が遠いから大きな声でゆっくり、気を付けながらしゃべる。お酒を呑(の)んでいる私にもその速度が一番心地い>い。畳の上の石油ストーブ。テーブルに載り切れないほどのご馳走(ちそう)。この光景が幸せだ。
>仲の良かった同級生で集まろうとすると、みんなの都合が合うのは元日。初詣の列に並びながら、明日からまた仕事! なんて隣で言っているこの子も、ついこの間>までセーラー服を着てたのになぁ。それぞれが、それぞれに変わっていく。人生を選んでいく。そんな流れでコーヒーショップに入り、紙ナプキンに今年の抱負を書>いて交換するのが恒例行事になっている。
>楽しい時間はあっという間に過ぎる。でもちゃんと分かっている。東京での暮らしがあるから、私は今この瞬間を手放しで楽しむことができるのだ、と。
>ここには現実がいつも半分しかない。物理的な距離が心と体を軽くする。そして私はいつまでも半分の魂で生きることを良しとしない。高揚が冷めてくると、東京で>の暮らしを私の全部が恋しがる。賑(にぎ)やかな乾杯も華やかなご馳走もたまに、だからいい。
>と、ここまでが年末から年始にかけての私のサイクルになっている。だから毎日を生きる私が新しい年と本当の意味で向き合うのはちょうど今頃なのだ。
>2019年、私の抱負は日々の生活を大事にすること。
>昨秋、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」で脚本家の坂元裕二さんの密着映像を見て気づかされた。坂元さんは言った。自分は作家だから、友達とお酒を飲ん>>だり遊んだりして刺激をもらうことが大事なんだ、それが作家としての生き方なんだと思っていた。だけど日常は絶対に追いかけてくる、それを捨てちゃいけな>い。
>坂元さんは日々の暮らし、日常の生活をとても大事にされていた。12年間奥さんと交代で娘さんのお弁当を作っているエピソードも素敵(すてき)だった。
>私が17歳でデビューして経験したことは、何にも代え難い宝物だ。その時期があって、今がある。音楽が、歌うことが大好きだからこそ、今、生活に立ち返ることが>大事なのかもしれない。私はそう思った。
>何かを期待して起こすアクションは壁に突進することと同じだ。風穴を開けることはできるけど、生身の体と魂はその衝撃に長くは耐えられない。
>生活から、無理のない物語は生まれる。丁寧に生きたい。ちゃんと寝て、自分で作ったものを食べて、しっかり呼吸する。そんな暮らしの中で私はいったい何を見つ>け、何を思い、何を歌っていくのか。
>(シンガー・ソングライター)
2019/1/18 日本経済新聞 掲載
「流儀」と いうことばがすでにハタチのコトバではない。
お題として日経新聞から与えられたとしても。
この文章。である。
大好きな家入レオ。
「20」を初め、ほぼ、アルバムは聞き及んでいる。
発表楽曲はほぼすべて収録していると思われる。
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日経のこの記事。
なかなかに衝撃的であった。
こんな、文章が書けるハタチなのだ。
既に、完成されている。
シンガーソングライターとしてあの、数々の名曲を描いてきた軌跡は、
やはり。この文書に、裏打されている。
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