自分にとっての神々の山嶺の記憶。
山を始める前。
高校に入った年の春休み。
中学3年の仲間たち(写真と鉄道が趣味)と、、
大井川鉄道(SL)を撮影に行った。(C11だ)
家山駅の川原にテント張って、あっちこっちと撮影行脚。
二泊だったか、三泊だったか???
風景を取り入れる作画が、、彼らとわしらの作風。
駅とか線路沿いでももちろん撮ったが、
時間をかけて橋とか、、川原を俯瞰するポジションなども
多々取り入れた。
静岡の茶畑が段々畑になっているのがここいらの普通の風景。
そのときも、SLを川原ごと俯瞰する位置取りを探っていた。
川原の対岸の茶畑を登っていったのだ。
100m、200mは優にあがっていただろう。
傾斜もかなり急なのだ。ここらへんの茶畑。
季節的に桜の時期。
春の光み満ち溢れる大井川の川原と、線路、。
いい作画だ。
と、、、
目の上にキラリと光るものが。
対岸の山の上に、はるかかなたの真白き山の姿がちらりと現れたのだった。
ふもとはすっかり春爛漫の光に満ち溢れている。
が、、確かに純白の峰が見えた。
背筋がそそけだった。
初めて目にする高山の姿だった。
まさしく神の座。
おそらく南アルプス最南の峰、光か、上河内あたりのはずである。
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その後、高校では地学部天文班。
夏の合宿は1週間テント暮らし。
先輩は、、ヒマがあれば山のぼりしているヒトが多く、
自然と山に行く機会は増えていった。
3年のときだったか。。
冬に三つ峠山に登った。
富士山の展望台としても有名だが、、このときの南アルプスが鮮烈だった。
まさに、、純白の屏風だった。
神々の座というに相応しい。
このときだろう、。
すこしずつ、確実に
自分の人生がそちらへとシフトしていったのは。
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