実高情報ビジネス科です。
昨年8月10日に記事にした「山中馬車鉄道の客車が動橋小学校にあった!!」
を再録させていただきます。まだ、お読みでない方はご覧下さい。
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隊員NO.2りかで~す(^_^)v
昨日レポートさせていただいた「しらさぎ」号が走っていたのは
北陸鉄道山中線でした。そして大聖寺~山中間を走った電車の
歴史は古く、さらにその前身は山中馬車鉄道でした。
1897(明治30)年9月、米原~福井間だった北陸線が小松まで延びて、
大聖寺駅と動橋駅が開業しました。(日露戦争開戦に向けて、
日本の鉄道網が急ピッチに整備されていた時代です。)
そこで温泉客誘致のため、山中温泉の旅館経営者七人が発起人となって、
山中馬車鉄道株式会社を設立したのです。
まず、1899(明治32)年10月に山中~河南間約4.8kmが開業、
さらに翌1900(明治33年)に山中~大聖寺駅までの全線約8.6kmが
開通しました。山中馬車鉄道は1899年の創業から1912(大正元)年までの
約13年間、約10両の客車、約10~15頭の馬を使って、
明治44年には一日平均約250人ものお客さんを輸送しました。
乗客・貨物共に順調に伸びたため、電車への転換が決まり、山中電軌が
設立されました。大正2年3月18日には石川県内初の電車が走り出し、
山中馬車鉄道はその役割を終えました。
さて、この当時山中馬車鉄道の客車として使われていた車両が、
加賀市文化財に指定され、現在なんと加賀市立動橋小学校の倉庫に
存されています。先生が、資料として写真を撮影してくださいましたので、
ご紹介します。
この動橋小学校の車両は、高さ1.9メートル、幅1.6メートル、
長さ2.2メートルで、1899年の馬車鉄道創業時に8両あったうちの
1両とみられます。天井は曲線で彫刻の雲の飾りも見ることができて、
とてもよく保存されているそうです。
わたしもぜひ今度実物を見せていただきたいと思います。