隊員NO.4にいなで~す(^_-)/
加賀市観光ボランティア大学第11回講座「日本一の富豪村 北前船の里」で、
講師の江沼地方史研究会・見附裕史さんから教えていただいたことをレポートします。
江戸時代末期の橋立や瀬越に住む北前船主の利益は、1艘の船でおよそ1千両といわれていました。
これは他の職業と比べたら、とんでもない巨額の利益だったのです。
1898(明治31)年の、石川県小松税務署の所得申告によれば、
現加賀市の温泉旅館の最高所得者で年収326円、有名酒造家で813円、織物製造業トップで956円、
有名医師800円、有名呉服商400円でした。
それに対して、北前船の衰えが目立った時期であったにもかかわらず、
北前船主大家七平(瀬越町)が26,500円、西出孫左衛門(橋立町)3,239円、
久保彦兵衛(橋立町)2,440円、酒谷長平(橋立町)【現北前船の里資料館の当主】が2,230円など、
他の職業に比べ、全く比較にならないほど高いものでした。
酒谷家は江戸後期より海運業を始め、6隻の船を所有していました。
橋立に本宅の他に別宅(現」蔵六園の後ろ)があった他、京都・大阪・函館などにも邸宅があったそうです。
酒谷家が所蔵していたコレクションは2000(平成12)年に加賀市に寄贈されましたが、日本を代表する作家の
ものばかりだったといわれます。
当時の橋立村には多くの北前船主がいて、「日本一の富豪村」と呼ばれましたが、
今のわたしたちの想像を絶するほど、豊かな暮らしぶりをしていたようです。