ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

今日の天気は半分いちじく半分ぶどう

2021-05-03 07:00:34 | フランス物語


アルザス・ロレーヌ地方の天気予報を自動翻訳で読んでいたら、下記のような日本語が出てきたのでびっくりしました。

5月2日日曜日の天気予報:イチジクの半分、ブドウの半分

なんのことかと原文のフランス語見てみると、

Vos prévisions météo pour ce dimanche 2 mai : mi-figue mi-raisin

となっていました。

mi-figue mi-raisin
文字通りだと、確かに「半分いちじく、半分ぶどう」です。

空からいちじくやぶどうが降ってくるのか、さすがアルザスだな、というわけではなく(当たり前だ)

慣用句の1つなのですね~
調べてみると

mi-figue mi-raisinには

「よくも悪くもない;はっきりしない,どっちつかずの」

という意味があるそうです。

更に詳しい解説のHPを読んでみると、


「半分いちじく半分ぶどう」とは、2つの面があって、どちらも中途半端な様子を表します。「完全にいちじくではないけど、完全にぶどうでもない」という微妙で、説明しにくい物事はよくありますよね。
これは少し古い表現なので、若者はあまり使いませんが、耳にする可能性は結構高いです。
ちなみにフランス語で「まあまあ」は「Bof-Bof」 または 「Comme-ci comme-ça」と言います。

フムフム、なるほど

天気予報の場合だと、画像にあるように、晴れたりにわか雨になったり、不安定でどちらもあり、という天気のようです。

いちじくが降ってくるのは当たったら痛そうですが、ぶどうが降ってくるのは、そんなに痛くないし、集めて食べれそうなので、そんなに悪くないかな、という気もします(笑)。
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ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院の裏側、歴史と建築

2021-05-02 07:05:38 | フランス物語


ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院の裏側、というのは適切ではないかもしれませんが、旧港とは反対側で、聖母マリア様も後ろ姿なので、一応そうしておきます。
この寺院については、いろんな所で語られていますが、ステイホーム(エンジョイホームの方がいいのかな?)で勉強も兼ねて、いつものようにマルセイユ市のHPの記事をいつもの手法で訳してみました。

Notre-Dame de la Garde

Surplombant la cité phocéenne, l'église Notre-Dame de La Garde est un monument incontournable de la ville. Construite sur une colline au sud du Vieux-Port, la Bonne Mère a fêté en 2014 ses 800 ans d'existence !

ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド

ポカイアの街を見下ろすノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド教会は、街で必見のモニュメントです。旧港の南の丘の上に建てられたボンヌ・メールは、2014年に800周年を迎えました。

L­­­­’­­­­­­­­histoire
En 1214, la colline de la Garde accueille son premier ­édifice religieux, une chapelle dédiée à la Vierge Marie, construite par Maître Pierre, prémi­ce de l'église de Notre Dame de la Garde que nous connaissons aujourd'hui. Une véritable dévotion populaire accompagne la chapelle et elle devient le lieu de prière des marins ayant échappé à un naufrage au détriment de Notre Dame du Mont.

歴史
1214年、ガルドの丘に、今日私たちが知っているノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド教会の創始者であるピエール師によって建てられた、最初の宗教的な建物で、聖母マリアに捧げられた(祭壇が1つだけの)小聖堂が建てられました。小聖堂は大衆の真の信仰の場となり、ノートルダム・デュ・モンを犠牲にして難破を逃れた船員たちの祈りの場になります。

À la mort de son bâtisseur, la chapelle est transformée en prieuré puis remplacée au début du XVe siècle par un bâtiment plus important qui comprend notamment une chapelle richement dotée, dédiée à Saint Gabriel.

Au cours des siècles, elle est de nombreuses fois agrandie pour mieux accueillir des foules de pèlerins de plus en plus denses.
En 1536 pour la protéger, elle est ceinturée par un fort. Malheureusement, le passage de la Révolution laissera des traces et l'église ne sera ré-ouverte qu'en 1807. Finalement, elle est remplacée en 1853 par l'église actuelle.

その建築者の死後、礼拝堂は小修道院に変わり、15世紀の初めに、聖ガブリエルに捧げられた、特に施しによる豪華な礼拝堂を含む、より重要な建物に建て換えられました。

何世紀にもわたって、ますます増加する巡礼者によりよく受け入れるために、それは何度も拡大されてきました。
建物を保護するために1536年、砦に囲まれました。残念ながら、革命により傷跡を残し、教会は1807年まで再開されませんでしたが、1853年に現在の教会に置き換えられます。

L’architecture
Œuvre de l'architecte Henry Espérandieu, cet édifice est un chef-d’œuvre de polychromie d'influence byzantine.

À la mort d'Espérandieu, c’est Henri Revoil qui reprend les travaux et achève l'ensemble par un somptueux décor de mosaïques. Elle est admirée pour sa crypte austère et dépouillée, l'éblouissante église supérieure, la statue d'argent du ­maître-autel (Chanuel, 1839) et les ex-voto.
Mais c’est surtout la statue monumentale de la Vierge, dominant toute la ville de son clocher, qui attire tous les regards. Érigée par Lequesne et la Maison Christofle en 1869, "La Bonne Mère" semble "garder" la ville et la protéger du fléau.

建築
建築家アンリ・エスペランデューの作品によるこの建物は、ビザンチン様式の影響を受けた多色の傑作です。

エスペランデューが亡くなったとき、その仕事を引き継ぎ、豪華なモザイク装飾で全体を完成させたのはアンリ・ルヴォイルでした。それは、その厳粛で整えられた地下室、まばゆいばかりの上部教会、主祭壇の銀像(シャヌエル、1839)、そして奉納品で賞賛されています。
しかし、全ての目を引き、鐘楼から街全体を支配しているのは、何よりも聖母の記念碑的な像です。1869年にルクスンとクリストフル家によって建てられた「ラボンヌメール」は、街を「守り」、大災害を防いでいるようです。


Quelques chiffres
Altitude de la colline : 147,85 m
Hauteur des remparts : 13,15 m
Hauteur de la tour : 33,80 m ­
Hauteur du piédestal de la statue : 12,50 m
Hauteur de la statue monumentale : 9,72 m
Poids de la statue : 9 796 kg
Tour du poignet de l'enfant Jésus : 1,10 m
Poids du bourdon : 8 234 kg
Hauteur du bourdon : 2,50 m
Poids du battant : 387 kg

いくつかの数字
丘の標高:147.85 m
城壁の高さ:13.15 m
塔の高さ:33.80 m
像の台座の高さ:12.50 m
記念碑の高さ:9.72 m
像の重さ:9,796 kg
幼子イエスの手首周り:1.10 m
大鐘重量:8,234 kg
大鐘の高さ:2.50 m
鐘の舌の重量:387 kg

今の建物自体はわりと新しいのでしょうが、起源をさかのぼると八百年以上の歴史を有するのですね。
画像では聖母子像も小さく見えるのですが、数字を見ると結構大きく、幼子イエスの手首周りでも1メートル以上あるのには驚きました。
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サマセット・モーム作「昔も今も」より

2021-05-01 07:00:33 | 小説
サマセット・モーム作、天野隆司訳、「昔も今も」(ちくま文庫)より

フィレンツェでの官職を辞し、サン・カシアーノの農場にひきさがったマキアヴェリが、息子がワナでつかまえたヒバリの串刺しを食べながら呟く

こいつら、歓喜のあまり大空高く舞い上がり、ぴーちくぱーちく、心臓が破裂せんばかりに囀ずっていたが、ぐうたら小僧のワナにかかって、焼き鳥にされて食われてしまう。人間も同じだなあ。高邁な理想を追いもとめて、天空高く舞い上がり、美しい夢物語を思い描きながら、無限・永遠を切望して、ぴーちくぱーちく鳴きちらしたあげく、つむじ曲がりの運命の手にとらえられて一巻の終わり、あとは蛆虫どもの餌食になってしまうんだ。

マキアヴェリが信奉したチェーザレ・ボルジア、またマキアヴェリ本人の運命でもあった。
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