現代語訳 欧米漫遊雑記
鎌田栄吉 著
舘川伸子 訳
博文館新社 発行
2014年3月28日 初版第一刷発行
慶応義塾の鎌田栄吉先生が明治29年(1896年)3月から1年9か月をかけて欧米(トルコ・エジプトも含む)を視察した際の記録・紀行文です。
当時の各国、そして国民性の見方が、現代にも通じるものもあれば、無いようなものもあるので、その微妙なギャップが面白いです。
第一章 フランス
英仏両国民の最も大きな違いは名称である。
フランス人は規則を画一化して名と実が適合することを好む。
英人は自然の成り行きに任して旧態を改めず、たとえその物にどんな変遷があっても名称を変えることはないので、官庁などの名称もほとんどその実態を表さなくなってきている。
アヴィニョンの兵営は、昔ローマ法王の居城だったところにあった。
(過去にはそのような使われ方をしていたのですね)
フランスのスペインとの国境にある町セート
スペイン製の酒を輸入して精製し、フランス葡萄酒の銘をつけて外国への輸出品にあてている。
第二章 英国
旅行者が、ロンドンを訪れて最も驚くことの一つは、ドイツ人の移住者が多いことである。
ドイツ人は大商、小買、代言人、学者、給仕人、職工、手代として侵入している。
第三章 英国のスコットランド
グラスゴー市では、欧州では珍しくない裸体美人画も厳重に取り締まっている。
あるとき、利に敏い一商人が、グラスゴーで発禁となった裸体美人画をロンドン市中で売り歩いた。しかしそれはなんのことはない平凡な画だった。
ロンドンは現代のローマである。様々な国の人、様々な宗教、様々な人種、様々な主義がここにやって来るが、来たもので容れられないものはない。
英国の下院議会は午後三時から始まるが、昼間はあまり面白くない。午後十時前になるのと、議場は賑やかになってくる。二時、三時まで平気である。昼間職務に忙しい実業家や法律家や学者も出席できるため、夜分に重要な議論をする。
英国の下院議員ではアイルランドの議員が時々大騒ぎをする。
一般にアイルランド人は軽佻の気風がある点、英人よりもフランス人に似たところがある。
また女王即位の六十年間は英人にとっては黄金時代だったかもしれないが、アイルランド人にとっては貧困、憂患、不平の暗黒時代としている。
第四章 ベルギー、オランダ
1830年独立で、新しくて小さな国であるため、新制度を取り入れやすい。新法制の試験所とでもいえるかもしれない。
ベルギーの都市にはそれぞれ特色がある。
ブリュッセルは貴人を誇り、アントワープは金銭を誇り、ゲントは首輪を誇り、ブルージュは美人を誇り、ルーヴァンは学者、マランは馬鹿を誇る。
マランに対するこの酷評は、寺院の塔の上に月が出たのを見て火事と誤り消防器を持ち出して水を注いだ、という話に始まったという。
第五章 ドイツ
ドイツは学者が集中する学問の本場というべき地だが、学者が増えてもそれに対応するだけの事業がない。
ドイツでは官権が様々なことにまで事の大小にかかわらず干渉し、それでよい結果が出ている。
第六章 ロシア
サンクトペテルブルクからモスクワまでの鉄道
その間がまったく茫漠たる原野で、全く人家を見ることがないのは、設計にあたって沿道の村の便を考慮せず、一直線に鉄道を敷設したからである。
ニコライ皇帝が地図上に両都の間に一直線を引き、このように敷設しろと命じたから。
ワルシャワ市はもとポーランドの首都で、分割、消滅の後、ロシアに属し、ロシア国総督府の所在地となった。
(当時のポーランドの亡国の哀しみを感じます)
第七章 オーストリア・ハンガリー
第八章 ブルガリア
第九章 トルコ
コンスタンティノープルはトルコ人、ギリシャ人、アルメニア人が大部分で、他にユダヤ人、西欧人などがいる。
ギリシャ人はアルメニア人は卑屈でトルコ人の機嫌を取っていると嘲り、アルメニア人の方はギリシャ人は不正不義であると罵っているが、その両者が会えば、一緒になってトルコ人は無学で怠け者だと笑っている。
トルコ人の生涯の目的は文武の官吏になることである。商業などは大いに賤しんでアルメニア人かギリシャ人の業とみなし、学問は西欧人の業とみなしている。
トルコ人の長所は、性格は率直であり剽悍にして決死の気性に富んでいるから、軍人としては屈強の兵士として賞賛してあまりある。
第十章 ギリシャ
ギリシャ人は忍耐に欠けるところはあるが、文学、商業、政治などの才に富んでいる。
第十一章 エジプト
なぜピラミッドのような巨大なものを築いたのかというと、砂漠の中では、通常の墓標のようなものをどんなに巨大にしても、土砂のため埋もれてしまうからである。
エジプトの病と言えるのが外債だ。このために列国の干渉を被り、首も回らない状況だ。
第十二章 イタリア
かの偉人マキャベリは稀世の材を抱いてイタリア統一の策を画した。そのためには尋常な謀計では充分でないと考え、まず英主にして獅子のような胆勇と老狐のような狡知を兼ね備えたものを求め、内外に隠顕出没の詭計を行い、しかも豪胆な政略で、密かにミラノ王やサルジニア王に望みを属したが、時は未だ熟せず、むなしく幽囚の身となった。
第十三章 スイス
第十四章 スペイン、ポルトガル
スペインの闘牛は残酷である。
ポルトガルでも闘牛は行われているが、法律で禁止されているので牛や馬を殺すことはない。
ポルトガルは小国である上に外国人の勢力が強いので、動物ほどなども行われているのだ。
第十五章 アメリカ
英人は閑散を装ってこれを人に誇り、米人は多忙を装ってこれを人に示す。
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