第三章 宗教改革時代の史的人物とその切手
ルター、フッガー、ミュンツァー
ルターは宗教改革者、フッガーは皇帝をもつくる独占的企業家、ミュンツァーはドイツ農民戦争の指導者
宗教改革の時代は、経済史の上では「フッガー家の時代」、社会的には「大農民戦争の時代」といわれているが、ルターはこの両面とかかわりを持った。
ルターの切手が、ミュンツァーの衣鉢を継いでいた社会主義共和国の東ドイツから、なぜ発行されたのか?
・ルターの故郷「ルターランド」が、第二次世界大戦後のドイツの分裂によって東ドイツに包含された
・東ドイツのキリスト教派は、なんといってもルター派が主流を占めていた。
・エンゲルスのルター評価、ルターは諸侯の奴隷であり、市民的改革家、に基づき、マルキスズムに立脚してルター批判を展開した。
・しかし政策の変更で、宗教改革を文化的運動として把握し、ルターを東ドイツの国家形成のなかに位置づけようとした。
・ルター評価の転機は1967年の宗教改革450年記念だった。
第四章 クラーナハの描いた女たち
ドイツ・ルネサンス画家の美の感性
クラーナハの「ヴィーナスとキューピッド」
古代ギリシャ・ローマ神話に題材
神話に画材をとったのは、裸体を描くための口実
その裸体は、透き通った細長い布によって、隠されるというより、むしろ官能的に強調されている。
キューピッドの表情は、上品のようで淫欲にあふれているように見える。
明らかに「地中海の伝統」に由来する絵である。
「ヴィーナスと蜂蜜を盗むキューピッド」
彼のヴィーナス像は段々柔軟化し、細身になり洗練されていく。
クラーナハ特有の魅力を持ったヴィーナス像が生まれる。
クラーナハは自己の官能的天性によって、心情の深層からヴィーナスを初め三美神、泉のニンフ、ルクレティアなどの裸体画を描き人気を得た。
「若い女の肖像」
モデルを確定することはできず、現在では、特定の人物の肖像画というより女性像の典型として、自分の好みを描いた作品ではないかといわれている。
デューラーの「若いヴェネチア女性の肖像」を思い出す。
クラーナハは流行を敏感に感じ取り、おびただしい肖像画や「つやもの」と呼ばれた裸体画などを描いた。
第五章 コペルニクスの宇宙とルター派の人々
宇宙論の革新と反響
ポーランドでもルネサンスは開花したのであり、その最盛期は16世紀だった。
コペルニクスはルネサンス期の人々が理想とした「普遍的人間」の典型だった。
ボローニャ大学留学中に独創的な天文学者であるノヴァラ教授から教えを受ける。
イタリアでの勉学を終えたコペルニクスは、東プロシアとポーランドの間に位置するヴァルミア(エルムランド)へ向かった。
1543年に息を引き取るまでこの「さいはての地」で人生を送った。
コペルニクスはなぜ完成された原稿を人の目につかないところにしまい込み、公にしようとしなかったのか?
・彼自身は理論の新奇性と不条理性に対する軽蔑の恐れから発表を長い間控えていた。
・人々のあざけりにあうことを恐れた。
コペルニクスの著書は1616年にローマ教皇庁の禁書目録に載せられた。
それからはずされるのは、19世紀になってからのことである。
メランヒトンは、地域の道徳的・社会的発展に役立つ科学や芸術を奨励したが、コペルニクスの学説は聖書の教えと矛盾したので嫌悪した。
コペルニクスは、自分が生きて活動しているヴァルミアの現実的問題に真剣に取り組み、立派に任務を果たしつつ、一方で、自己の宇宙論を完成させるために情熱を傾けた人物であった。
コペルニクスの宇宙論には、創造的で革新的な要素とともに古い伝統的な要素が含まれている。
例えば、コペルニクスはアリストテレスやプトレマイオスの球殻的宇宙観を継承し、天球という伝統的な概念に固執している。