軍服を脱いだ鴎外
青年森林太郎のミュンヘン
美留町義雄 著
大修館書店 発行
2018年7月20日 初版第1刷発行
森鴎外のドイツ時代の内、ミュンヘン時代に限定して書かれた本です。ちょうど独逸日記の現代語訳を読んだ後だったので、更に興味深く読めました。写真なども多く、わかりやすかったです。
序 奇跡の一年
表紙の鴎外の写真は1886年8月、ミュンヘンのスタジオで撮影されたもの。カメラに向かって得意げに笑みを浮かべ、その面持ちには稚気すら漂っているように思える。
ミュンヘン時代の鴎外の特性を、凝縮した形で表しているようにも見える。
監視下にあったベルリン時代や、更には鴎外の全生涯から見ても、自己を解放できたミュンヘン時代は稀有なものだった。
第1章 非日常の世界へ 越境する鴎外
カーニヴァル
1886年(明治19年)3月8日、北ドイツのドレスデンを発ち、南部のバイエルンに向かう。
ミュンヘンはカーニヴァルの狂騒の中だった。
ミュンヘンに着くや早々に、鴎外が自ら仮面を被って興じたという事実。
謝肉祭の騒ぎと高揚に乗じながら、従来とは異なる自分を演じようとする意思の表れではないか?p27
バヴァリア像
下宿から見えるバヴァリア像という巨大な女神像
『うたかたの記』のヒロインであるマリイに、女神バワリアの面影が見える。
アンデックス修道院
巡礼地と聖遺物、そしてビール
敬虔なる巡礼と愉快な行楽、荘厳な教会と酔客が騒ぐ酒房、祈祷の声と学生たちの狂歌
カフェ・ミネルヴァ
1924年、斎藤茂吉が探索するが、とうに閉店していた。
第2章 芸術の都ミュンヘン 画家たちとの交流
原田直次郎(1863~1899)
洋画を学ぶ美大生としてミュンヘンの美術学校に在籍
『うたかたの記』のモデル
ハンス・フェヒナーという画家の自伝の中に原田についての記述あり。
1885年8月、ミュンヘンで開催された「日本展覧会」における原田の姿
ユーリウス・エクスター
羽織袴の原田の等身の姿を描く
バイエルンにおいて生じた前衛芸術運動に付き従う
ガブリエル・マックス
森鴎外の隣人で、原田直次郎の師
第3章 シュタルンベルク湖 「その美言はん方なし」
『南独漫遊草』と『独逸日記』
公爵近衛篤麿(1863~1904)、欧州留学中の1886年7月27日、ミュンヘン中央駅に降り立つ。
『南独漫遊草』は近衛公の旅日記
その中に森林太郎の名前もあり。シュタルンベルク湖への遠足を提案する。
そこで相撲や競争する鴎外たち
遊覧船
1851年、湖上に定期の遊覧船が就航し、1854年ミュンヘンからの鉄道が開通すると、たちまち人気の観光スポットとなる。
1886年6月13日、この湖畔でバイエルン国王ルートヴィヒ2世が溺死体で発見される。
鴎外は真冬を除いて頻繁にこの湖に足を運び、日記に載っているだけでも七度も当地を訪れている。
『うたかたの記』でも出てくる。
レオニ
湖の東岸に位置するレオニと称する土地
イタリア人のオペラ歌手、ジュゼッペ・レオニのレストランとホテルにちなむ。
ロットマン丘
カール・ロットマン
ルートヴィヒ1世お気に入りの画家であるとともに、バイエルン王国を代表する風景画家
ロットマンはホテル・レオニの裏手にある小高い丘からの眺望をこよなく愛した。
「素食家」ディーフェンバッハ
画家でベジタリアンで独自のコミューンをつくる。
鴎外はロットマン丘でその親子に出会う。
シュタルンベルク湖岸は王家の一族や宮廷画家だけでなく、新進の若きアーティストをも魅了していた。
後年その息子ヘリオスは、生活信条・習慣の違いから父親と対立し、二人の間で争いが絶えなくなる。p189
(息子の気持ちもよくわかります)