ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

播磨百人伝 寺林峻 著

2020-12-22 18:48:43 | ヨーロッパあれこれ
播磨百人伝
寺林 峻 著
のじぎく文庫 編集
神戸新聞総合出版センター 発行
2001年5月1日 第1刷発行

播磨にゆかりのある百人を、神代・古代・中世・近世・近代から選んでいます。
このブログでは主にヨーロッパ関係のことについてメモっているのですが、今回は特に欧州関係に限定してみます。

幕末の混乱は二つの流れで姫路城下へも及んできた。
一つはロシア、イギリス、アメリカといった国が次々と開国を迫ってやってくる。もう一方では幕府の政治を変えようとして勤王を叫んで立ち上がる志士の波である。この二つの流れに足をかけた姫路の青年がいた。秋元安民である。p206

古市公威、
佐幕派の姫路藩士の子という古いレッテルで明治維新をくぐり、その後、見事に明治を引っ張る立場に変身してみせる。フランスに留学して近代日本の土木工学のパイオニアとなった。
明治8年には第1回留学生としてフランス行きを命じられ、パリ大学などで学び、5年間で工学士と理学士の二つの学位をとって帰国する。
フランスで公威があまりに根をつめて勉強するので、下宿の女主人が「それではからだをこわしますよ」と注意すると、公威は「私が一日安めば、日本は一日遅れるのです」と答えた、と司馬遼太郎の「この国のかたち」の中にあり。

大鳥圭介
横浜で幕府軍事顧問のフランス人ブリュネから新しい陸軍兵器の扱いを習い、近代兵器を扱う第一人者となっていく。

初めて公式に姫路へやってきた欧米人は米国マサチューセッツ州生まれのエドウィン・ベイカーである。p254

三木露風は日本のベルレーヌと呼ばれるほど西洋の象徴詩技法をつぐ詩人だった。

和辻哲郎の卒論は「ショオペンハウエルの厭世主義および解説論について」だった。

三木清
25歳で岩波茂雄の援助でドイツに留学してハイデッガーに師事し、さらにフランスに向かい、そこでパスカルの「パンセ」に読みふけり、28歳で帰国した翌年に「パスカルにおける人間の研究」をまとめ、処女出版する。

椎名麟三
共産党活動で検挙され、獄中で読んだニーチェに感銘し、2年後に転向を表明した。
さらに39歳で思想的な行き詰まりからキリスト教の洗礼を受ける。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする