気管支喘息すなわち気道炎症であることはもはや常識だろう。気管支拡張薬のみでしばしば不十分であることは繰り返し強調されている。とはいえ、β2刺激薬の効果を幾度となく経験し、屯用で吸入することに慣れきっている患者を説得し、吸入ステロイドを導入するのは思いのほか苦労するものだ。他の慢性疾患とは異なり定期受診させることさえ難しく、それを乗り越えてガイドラインに沿った治療を行っていても、頻回に発作を起こす例が皆無ではない。そのような治療抵抗性喘息症例に対し、服薬コンプライアンスやアレルゲンからの回避を再確認するのは当然ながら、慢性鼻炎・副鼻腔炎や胃食道逆流の存在などを改めて評価する必要があるだろう。あるいは、喘息の診断自体に問題があるのかもしれない。vocal cord dysfunction(VCD)はこれまで注目されてこなかったけれども、稀ならず存在していることが明らかになりつつあるのだ。
VCDはParadoxical vocal cord motionあるいはparadoxical vocal cord dysfunction、Munchausen stridor、factitious asthmaなどとも呼ばれている。声帯の不適切な動きにより気道が機能的に閉塞され、その結果、呼吸困難を自覚する、というのがその概念だ。発作を繰り返し喘息と誤診されていることも多いが、喘息とは異なり呼気より吸気が困難で、のどの緊張やつまった感じを伴うことが少なくないという(Am Fam Physician 2010; 81: 156-159)。呼吸困難を訴えるわりに一つの文章全部を話し、息こらえも可能で、頚部に最強点を有するstridorを吸気時に聴取するのが典型であるとはいうものの、呼気時あるいは吸呼気時共に聞かれることもあり、wheezeとの区別は必ずしも容易でない。
理学所見のみで喘息との鑑別が十分にできないとすれば、診断の確定は検査所見に頼らざるを得ない。とくに喉頭を直接観察するlaryngoscopyがgold standardとされているのはきわめて自然だろう。とはいえ理想的にはそうであるにしても、正確に診断するためには経験ある耳鼻科医が有症状時に行う必要があることから実行するには少なからぬ困難を伴い、これまでVCDが無視されてきた大きな理由でもあった。そのためより侵襲が少なく必要時に容易に行えるものとしてマルチスライスCTを応用することも試みられている。リアルタイムに組織構造や動きを可視化することができるdynamic 320-slice CTを用いた研究によれば、治療抵抗性の喘息患者46名のうち23名(50%)において声門部が過度に狭小化している所見が得られたという(Am J Respir Crit Care Med 2011; 184: 50-56)。この狭窄が吸気あるいは呼気時にのみ見られる例は比較的少なく、両方の時期に認められる例が多かった。さらに驚くべきことに、VCDは声門に限った異常ではなく、喉頭の全体や声門上の領域が収縮して気道の狭窄をきたしている所見もしばしば観察され、従来信じられていたよりも広範囲の領域が含まれていることが示されたのである。
興味ある結果であるには違いないが、320列のMDCTなど国内にいくつあるだろうか。代わりに用いられるのが肺機能検査によりflow-volume loopの検討などから胸郭外上気道閉塞を推測する方法である(Am Fam Physician 2010; 81: 156-159)。限界はあるものの、上気道閉塞の定量化が可能で、何より気管支喘息の診断にも日常的に用いられているものであり、地域の一般医療機関でも容易に行える利点は大きい。実際、VCD疑い症例に対しもっとも行われている検査だろう。
もちろん、検査前確率(有病率)が低い集団にむやみに検査を行うことは避けるべきである。VCDに典型的な症状・所見を有する患者のほか、気管支拡張薬やステロイドで十分な効果が得られない、あるいは特徴的な背景因子をもつ症例が検査の対象になるに違いない。基本的な情報として女性、とくに20~40代に多いことはよく知られているけれども、一方で男性にも決して稀なものではなく、また、小児例も報告されている。精神疾患との関わりが指摘されてきたのもすでに周知だろう(Fishman’s Pulmonary Diseases and Dosorders 3rd ed. McGraw Hill 1998年)。実際、ケース・コントロール研究の結果からVCD群では有意に高いレベルの不安を感じ、より多くの不安に関連した疾患の診断を受けていたことが報告されている(J Asthma 1998; 35: 409-417)。それ以外にもPTSD(posttraumatic stress disorder)やうつ病などの関与も報告されているようだ。とはいえ、うつ病や不安などはVCDの原因というよりもむしろ繰り返す呼吸器症状の結果である可能性も否定できない。
最近では運動誘発性、職業関連吸入暴露によるVCDも一つのカテゴリーとして認識されている。それ以外にも周術期の気道・神経損傷が原因と考えられる症例の報告、さらにはGER(gastro-esophageal reflux)、LPR(laryngopharyngeal reflux)、post-nasal dripなどによる喉頭粘膜の傷害が声帯閉塞を誘発している可能性も注目されているなど、多彩な因子が発症に関わりうることが示唆されている状況だ。このことは、かつて考えられていた以上にその病態生理が複雑であることを表していると同時に、VCDは単一の疾患というより症候群として扱われるべきことを示しているように思われる。また、VCDは喘息と鑑別を要する疾患であるとともに、治療抵抗性喘息にしばしば共存していることから、両者が病態的にも深く絡み合っているのかもしれないと推測する研究者さえいるようだ(Am J Respir Crit Care Med 2011; 184: 50-56)。いずれにせよ、VCDの最適な治療のためにも寄与因子(基礎疾患、精神的因子)を同定することはきわめて重要である(Eur Respir J 2011; 37: 194-200)。
仮説にすぎない事柄であったとしても、流布する間にいつの間にか誰もが信じて疑わなくなっていることがある。そのことを意識し、改めて問い直すことができれば、今ある世界認識の枠組みそのものを組み替えることだってありえるだろう。Prusinerがプリオンの存在を発表したとき、セントラルドグマという基本概念を揺るがすその内容は世界に衝撃を与えることとなった。その影で、もしその主張が間違いであれば彼の研究者としての生命は断たれることになるだろうと囁かれていたのだ。つまり、それは一つの賭けであったとも言えるのだが、etwas Neuesが大事だといいながら、実のところ時流に即した材料の収集にばかり熱心で、国内学会での優位を保つことに汲々としている程度の科学者にはできない発見であったに違いない。学問とはまるで無縁の環境にある者が偉そうな口をきけるものでもないけれども、混乱を極める現場のなかで、ときに罵声を浴びせかけられ、血と汚物にまみれながらも、そんなことを思っているのである。 (2012. 8.27)
VCDはParadoxical vocal cord motionあるいはparadoxical vocal cord dysfunction、Munchausen stridor、factitious asthmaなどとも呼ばれている。声帯の不適切な動きにより気道が機能的に閉塞され、その結果、呼吸困難を自覚する、というのがその概念だ。発作を繰り返し喘息と誤診されていることも多いが、喘息とは異なり呼気より吸気が困難で、のどの緊張やつまった感じを伴うことが少なくないという(Am Fam Physician 2010; 81: 156-159)。呼吸困難を訴えるわりに一つの文章全部を話し、息こらえも可能で、頚部に最強点を有するstridorを吸気時に聴取するのが典型であるとはいうものの、呼気時あるいは吸呼気時共に聞かれることもあり、wheezeとの区別は必ずしも容易でない。
理学所見のみで喘息との鑑別が十分にできないとすれば、診断の確定は検査所見に頼らざるを得ない。とくに喉頭を直接観察するlaryngoscopyがgold standardとされているのはきわめて自然だろう。とはいえ理想的にはそうであるにしても、正確に診断するためには経験ある耳鼻科医が有症状時に行う必要があることから実行するには少なからぬ困難を伴い、これまでVCDが無視されてきた大きな理由でもあった。そのためより侵襲が少なく必要時に容易に行えるものとしてマルチスライスCTを応用することも試みられている。リアルタイムに組織構造や動きを可視化することができるdynamic 320-slice CTを用いた研究によれば、治療抵抗性の喘息患者46名のうち23名(50%)において声門部が過度に狭小化している所見が得られたという(Am J Respir Crit Care Med 2011; 184: 50-56)。この狭窄が吸気あるいは呼気時にのみ見られる例は比較的少なく、両方の時期に認められる例が多かった。さらに驚くべきことに、VCDは声門に限った異常ではなく、喉頭の全体や声門上の領域が収縮して気道の狭窄をきたしている所見もしばしば観察され、従来信じられていたよりも広範囲の領域が含まれていることが示されたのである。
興味ある結果であるには違いないが、320列のMDCTなど国内にいくつあるだろうか。代わりに用いられるのが肺機能検査によりflow-volume loopの検討などから胸郭外上気道閉塞を推測する方法である(Am Fam Physician 2010; 81: 156-159)。限界はあるものの、上気道閉塞の定量化が可能で、何より気管支喘息の診断にも日常的に用いられているものであり、地域の一般医療機関でも容易に行える利点は大きい。実際、VCD疑い症例に対しもっとも行われている検査だろう。
もちろん、検査前確率(有病率)が低い集団にむやみに検査を行うことは避けるべきである。VCDに典型的な症状・所見を有する患者のほか、気管支拡張薬やステロイドで十分な効果が得られない、あるいは特徴的な背景因子をもつ症例が検査の対象になるに違いない。基本的な情報として女性、とくに20~40代に多いことはよく知られているけれども、一方で男性にも決して稀なものではなく、また、小児例も報告されている。精神疾患との関わりが指摘されてきたのもすでに周知だろう(Fishman’s Pulmonary Diseases and Dosorders 3rd ed. McGraw Hill 1998年)。実際、ケース・コントロール研究の結果からVCD群では有意に高いレベルの不安を感じ、より多くの不安に関連した疾患の診断を受けていたことが報告されている(J Asthma 1998; 35: 409-417)。それ以外にもPTSD(posttraumatic stress disorder)やうつ病などの関与も報告されているようだ。とはいえ、うつ病や不安などはVCDの原因というよりもむしろ繰り返す呼吸器症状の結果である可能性も否定できない。
最近では運動誘発性、職業関連吸入暴露によるVCDも一つのカテゴリーとして認識されている。それ以外にも周術期の気道・神経損傷が原因と考えられる症例の報告、さらにはGER(gastro-esophageal reflux)、LPR(laryngopharyngeal reflux)、post-nasal dripなどによる喉頭粘膜の傷害が声帯閉塞を誘発している可能性も注目されているなど、多彩な因子が発症に関わりうることが示唆されている状況だ。このことは、かつて考えられていた以上にその病態生理が複雑であることを表していると同時に、VCDは単一の疾患というより症候群として扱われるべきことを示しているように思われる。また、VCDは喘息と鑑別を要する疾患であるとともに、治療抵抗性喘息にしばしば共存していることから、両者が病態的にも深く絡み合っているのかもしれないと推測する研究者さえいるようだ(Am J Respir Crit Care Med 2011; 184: 50-56)。いずれにせよ、VCDの最適な治療のためにも寄与因子(基礎疾患、精神的因子)を同定することはきわめて重要である(Eur Respir J 2011; 37: 194-200)。
仮説にすぎない事柄であったとしても、流布する間にいつの間にか誰もが信じて疑わなくなっていることがある。そのことを意識し、改めて問い直すことができれば、今ある世界認識の枠組みそのものを組み替えることだってありえるだろう。Prusinerがプリオンの存在を発表したとき、セントラルドグマという基本概念を揺るがすその内容は世界に衝撃を与えることとなった。その影で、もしその主張が間違いであれば彼の研究者としての生命は断たれることになるだろうと囁かれていたのだ。つまり、それは一つの賭けであったとも言えるのだが、etwas Neuesが大事だといいながら、実のところ時流に即した材料の収集にばかり熱心で、国内学会での優位を保つことに汲々としている程度の科学者にはできない発見であったに違いない。学問とはまるで無縁の環境にある者が偉そうな口をきけるものでもないけれども、混乱を極める現場のなかで、ときに罵声を浴びせかけられ、血と汚物にまみれながらも、そんなことを思っているのである。 (2012. 8.27)