「十二使徒の名は次のとおりである。
まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、
トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。」
(マタイによる福音書10:2‐4)
イエスの十二弟子は今日でも広く知られている。
ここから名前をとっている人も多い。
英語読みにすると、ペトロはピーター、ヤコブはジェイムス、ヨハネはジョンだ。
トーマス、フィリップ、サイモン・・・、
こういう名前の人は世界中に数えきれないほどいる。
だが、ユダ=ジュダになるとどうか。
悲しい背景がそこにはある。
マタイの福音書も28章のうち26章まで来た。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、
カイアファという大祭司の屋敷に集まり、
計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。
しかし、彼らは『民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、
祭りの間はやめておこう』
と言っていた。
マタイによる福音書26:3-5
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
神に仕え、民を指導するはずの祭司長や長老たちが
集まっては話し合っていたこと、
それはイエスをどうやって罠に陥れ、抹殺するかということだった。
このような人たちは他人の目をよく気にするものだ。
祭りの最中の計略の実行はあきらめていた。
そこに願ってもない話が舞い込む。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、
祭司長たちのところへ行き、
「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。
そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
マタイによる福音書26:14‐16
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
目先の利益に目がくらんだ十二弟子の一人ユダが
祭司長たちのもとを訪れたのである。
祭司長らにしてみれば渡りに船。
彼らの間で取引が成立する。
タイミングよくイエスを引き渡せば銀貨三十枚が支払われることになった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一同が食事をしているとき、イエスは言われた。
「はっきり言っておくが、
あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは非常に心を痛めて、
「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。
イエスはお答えになった。
「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。
人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。
だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。
生まれなかった方が、その者のためによかった。」
イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、
「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。
「それはあなたの言ったことだ。」
マタイによる福音書26:21-25
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イエスは「最後の晩餐」で、弟子の中に一人裏切る者がいることを打ち明けた。
だが、名指しすることはなかった。
不安になった弟子たちは代わる代わる
「主よ、まさかわたしのことでは」と尋ねる。
「人の子を裏切るその者は不幸だ。生れなかった方が、その者のためによかった」
とイエスは言い切った。
この時、ユダの心中には何が起きていたのだろう?
彼はこう言ってのける。
「先生、まさかわたしのことでは」
イエスは、ただ「それはあなたの言ったことだ」と語るにとどまった。
「わたしを嘲る者が敵であれば
それに耐えもしよう。
わたしを憎む者が尊大にふるまうのであれば
彼を避けて隠れもしよう。
だが、それはお前なのだ。
わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲。
楽しく、親しく交わり
神殿の群衆の中を共に行き来したものだった。」
(詩篇55:13-15)
身内から裏切り者が出るのは外部からの攻撃にさらされるよりつらい。
イエスは三年間寝食をともにした弟子から銀貨三十枚で売られようとしていた。
だが、彼はここでヒントを与えはしたものの、ユダを糾弾してはいない。
ユダは自らの愚かさに気づくことなく裏切りを実行に移す。
あとで大いに苦しむことになるとも知らずに。
あなたの周囲でも裏切りは起こらないとは言えない。
起こった場合どうするか?
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
『「復讐はわたしのすること、わたしが復讐する」と主は言われる』
と書いてあります。
『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。
そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』
悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」
(ローマ12:19-21)
数時間後には十字架につくという極限状態の中、
イエスが裏切り者に対して取った対応をよく吟味していただきたい。
まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、
トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、
熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。」
(マタイによる福音書10:2‐4)
イエスの十二弟子は今日でも広く知られている。
ここから名前をとっている人も多い。
英語読みにすると、ペトロはピーター、ヤコブはジェイムス、ヨハネはジョンだ。
トーマス、フィリップ、サイモン・・・、
こういう名前の人は世界中に数えきれないほどいる。
だが、ユダ=ジュダになるとどうか。
悲しい背景がそこにはある。
マタイの福音書も28章のうち26章まで来た。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、
カイアファという大祭司の屋敷に集まり、
計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。
しかし、彼らは『民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、
祭りの間はやめておこう』
と言っていた。
マタイによる福音書26:3-5
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
神に仕え、民を指導するはずの祭司長や長老たちが
集まっては話し合っていたこと、
それはイエスをどうやって罠に陥れ、抹殺するかということだった。
このような人たちは他人の目をよく気にするものだ。
祭りの最中の計略の実行はあきらめていた。
そこに願ってもない話が舞い込む。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、
祭司長たちのところへ行き、
「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。
そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。
そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
マタイによる福音書26:14‐16
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
目先の利益に目がくらんだ十二弟子の一人ユダが
祭司長たちのもとを訪れたのである。
祭司長らにしてみれば渡りに船。
彼らの間で取引が成立する。
タイミングよくイエスを引き渡せば銀貨三十枚が支払われることになった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一同が食事をしているとき、イエスは言われた。
「はっきり言っておくが、
あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは非常に心を痛めて、
「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。
イエスはお答えになった。
「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。
人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。
だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。
生まれなかった方が、その者のためによかった。」
イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、
「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。
「それはあなたの言ったことだ。」
マタイによる福音書26:21-25
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イエスは「最後の晩餐」で、弟子の中に一人裏切る者がいることを打ち明けた。
だが、名指しすることはなかった。
不安になった弟子たちは代わる代わる
「主よ、まさかわたしのことでは」と尋ねる。
「人の子を裏切るその者は不幸だ。生れなかった方が、その者のためによかった」
とイエスは言い切った。
この時、ユダの心中には何が起きていたのだろう?
彼はこう言ってのける。
「先生、まさかわたしのことでは」
イエスは、ただ「それはあなたの言ったことだ」と語るにとどまった。
「わたしを嘲る者が敵であれば
それに耐えもしよう。
わたしを憎む者が尊大にふるまうのであれば
彼を避けて隠れもしよう。
だが、それはお前なのだ。
わたしと同じ人間、わたしの友、知り合った仲。
楽しく、親しく交わり
神殿の群衆の中を共に行き来したものだった。」
(詩篇55:13-15)
身内から裏切り者が出るのは外部からの攻撃にさらされるよりつらい。
イエスは三年間寝食をともにした弟子から銀貨三十枚で売られようとしていた。
だが、彼はここでヒントを与えはしたものの、ユダを糾弾してはいない。
ユダは自らの愚かさに気づくことなく裏切りを実行に移す。
あとで大いに苦しむことになるとも知らずに。
あなたの周囲でも裏切りは起こらないとは言えない。
起こった場合どうするか?
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。
『「復讐はわたしのすること、わたしが復讐する」と主は言われる』
と書いてあります。
『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。
そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。』
悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」
(ローマ12:19-21)
数時間後には十字架につくという極限状態の中、
イエスが裏切り者に対して取った対応をよく吟味していただきたい。