経営者のための聖書講座

永遠のベストセラー、聖書からビジネスのヒントを学ぶ

No.209 賢いおとめ、愚かなおとめ

2009-06-26 23:26:09 | マタイ
調子のいい時に、ただ有頂天になっていると、
後で手痛いしっぺ返しをくらうことになりかねない。

賢さと愚かさの分岐点とは何か?

マタイ25章にある、イエスのたとえ話を読んでみよう。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。

 十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。
 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。

 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。

 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。

 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。
 『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』
 賢いおとめたちは答えた。
 『分けてあげるほどはありません。
  それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』

 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、
 用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。

 その後で、ほかのおとめたちも来て、
 『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。
 しかし主人は、
 『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。

 だから、目を覚ましていなさい。
 あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

  マタイによる福音書25:1‐13
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

十人のおとめが夜中、ともし火を持って花婿を待っていた。
ところが、花婿の到着が遅れたので、おとめたちは皆眠り込んでしまう。

真夜中、「花婿だ。迎えに出なさい」と叫ぶ声に、おとめたちは飛び起き、
皆そそくさとともし火の準備をし始めた。

そこではっきりと明暗が分かれる。
おとめたりのうち五人はパニック状態に陥った。
油が切れかかって、ともし火が消えそうになっていたのだ。

他の五人のともし火はその時、煌々と輝いていた。
あらかじめ壺に油を用意していたおかげだった。

ともし火が消えかかっていた五人は、真夜中にもかかわらず、
あたふたと油を買いに走る。
その間、花婿が到着、用意周到なおとめたちに出迎えられ、宴席に入っていった。

花婿が中に入ると戸は無情にも閉められてしまう。
やっと油を手に入れたおとめたちが戻ってきて開けてくれるよう頼んだが、
中に入れてもらうことはできなかった。

十人のおとめのうち、五人は賢く、五人は愚かだった。

将来に備えて「油」を用意しておく経営者は、
後々、賢かったと言われるようになるのだろう。

では、直近のことしか目に入らない経営者は?

この話も「天の国」のたとえ。

仕事に限らず、人生全般に当てはまる。