東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会会長の森元首相。ショートプログラムで浅田真央さんは転倒しました。みんなが、つらい思いをしているなか、とりわけ浅田真央さんンが一番つらいとき。「あの子、大事なときには必ず転ぶ」と発言。オリンピック組織員会会長の資格なしです。
浅田真央さんを応援してきた多くの皆さんのなかの一人として、今日(22日)日刊赤旗1面の「潮流」記事に、心が癒され、励まされました。
浅田真央さん。4年前の涙とはちがいましたね。演技を終えたあと、あなたの胸にこみあげてきたもの。やり切れたという達成感、みんなに「最高の演技」を見せられた安心感、そして、ここまでの道のり…▼悔し涙にくれたバンクーバー五輪の後、あなたは基礎からスケートを学び直しました。一つ一つのジャンプをはじめ、滑り方まで。試合でも何度も転び、うまくいかずに、大好きなスケートをやめようとしたこともありましたね▼いくつもの山を乗り越え、ふたたび頂点をめざしたソチ五輪。大技トリプルアクセルをふくめ、8回もの3回転ジャンプを決めたフリーの演技は、まさにスケーター浅田真央の集大成でした。さらに最高難度の構成は女子フィギュア界全体を押し上げました▼真央さん。あなたを初めて見たのは、今から10年以上も前の全日本選手権でした。当時小学6年生。あどけない顔で、すでに3回転の連続ジャンプを軽々と跳んでいましたね▼その後、国際大会で次々に優勝。ライバルにも恵まれ、世界のトップ選手への階段を駆け上がっていきました。でも、ほんとうに成長したのは、試練のなかにいたこの4年間だったのではないでしょうか▼3年前。心の支えだった母親を亡くした直後の大会で、あなたは「やるべきことをしっかりできた」と自立したアスリートの姿を示しました。自分を信じ、力の限り可能性に挑んできた真央さん。スケート人生の思いがこもった舞いとともに、晴れやかな笑顔を、ありがとう。