田舎とはいっても世間は広く“変わりモン”は何処にでもいるもので…“普通の人”には聞こえない鳴き声を発しながらナカマが集まります。
中学校のグラウンド側溝に溜まった砂を300分の6名のおやじで掻きだそうということで取り組みました。しかも夕立のザアザア雨のなか、何の策もなく、打合せもなく、まずはアクションということで!!
ということでびしょ濡れになりながら取り敢えず1時間で「作業止めというか限が無い」
小学校でも同じ悩みだが参加者が少ない…というかナカマがいない。ハッキリ言って(解りきった事ではあるが)俺らマジョリティではないよな。普通こんなことには手を出さないのが常識なのかもしれない。もっと静かに、カラーを出さずに目立たぬように…気がつかれないうちに帰っちゃおうぜ!
ところで「13歳のハローワーク」をご存知ですか?
<iframe marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=yahata88-22&o=9&p=8&l=as4&ref=ss_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" frameborder="0" marginwidth="0" scrolling="no" style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px"> </iframe>わたしが参加する団体でボランティア活動の一環として取り組むことになりました。早速、村上龍著書を取寄せて読んでみました。
自分に置き換えて振り返ると果して「自分の職業」=「自分の将来」についてそこまで真剣に考えることがあっただろうか?
著書にあるように、確かに子供は「不自由」です。朝は怒られながら目を覚まし、モソモソと朝ごはんを食べ、背中や手にたくさんの荷物を持ち、忘れ物をすれば叱られ、習い事や宿題に追われ、油断して遊びすぎるとビンタがとぶ…わたし自身も「何になりたい」「何をしたい」ということよりも「自由になりたい」「だれからも束縛されたくない」という思いで進学し卒業し、そして結果として家業を継いでいました。
だから、もし子供から「お父さんはこの仕事がしたかったの?」と聞かれた時には答えることができないでしょう。今となって、後付けでいろいろと尤もらしく語っていますが13歳の時点で「おれは将来、家業を継ぐんだ!」なんてことは思ってもいなかったし、おそらく親も望んでいる風には見えませんでした。(ココロノ片隅にはあったかもしれないけど)
随分とグダグダ書きましたが“今を真剣に生きる!”姿を子供に見せたい。あの時の自分と同じ“世間一般並みの人生を目指せ!”などとは言いたくない。“マイノリティ大いに結構ではないか!”などと火曜日の晩から吠えているとそろそろ叱られそうなのでここらでサヨウナラ。