鎌倉の浜辺で弁当を食うときにはトンビに狙われるので工夫がいる。
このときトンビと私は対等だ。
動物園に行ったら子供たちよりも、檻の中に入れられた動物たちの目を覗く。
動物たちは全部といっていいが、悲しい表情を目に浮かべている。だから私は目で話しかける。彼ら動物たちとも対等だ、そして檻の外も大して変わらないんだよ、と。
水族館では水槽の中で窮屈そうに泳いでいる魚たちや珍しい海洋動物が何故、そこに泳いでいなければなないのかと、考える。
彼らはヒレや尾やエラなど身体の動きで何かを訴えているんだ。
人間の世界では老人・子供・障がい者・そして女性も、物理的に弱い人、経済的に低い人の目から世の中を見る。
しかも彼らとも対等だから、見下したりしない。人間なので感情的になることはしばしばあるけど。
子供と大人で、大人が何でもかんでもエライなんてそれこそ何にも説得力がないだろ?
私が子供のころに、いつも威張りくさっている大人に対してそう思っていたからなんだ。
これが何かに迷ったり、難しくてどう考えればいいのか分からないときに、私がいつも立ち返るように心がけていること。
このブログでは、いろいろな人たちの考え方を載せている。
彼ら(殆どジャーナリストと呼ばれる人)に圧倒的に不足していると私が思うのは、「どこから物事を見定めているのか」、言葉を変えれば定点というか焦点が定まっていず、そのことが読みづらさを多分読者に与えているのだろうと、感覚的にだが思う。
そのうちに「気を消す」や「自らを恐怖心から解き放つ」ことなどについて書こうと思っている。
誰をも見下さないのだから、誰をも見上げない。
尊敬はするが、それとは別。みたいな感じだ。