すったもんだしてこのグラフが出てくるまでのやりとりは、1:20 00 くらいから
https://iwj.co.jp/wj/member/archives/516159#memberB
紙ベースが大切なことをネットメディアも認めざるを得ない。
司会者とゲストのやり取りを聞いたら、対処するのに長けているというかそもそもTVのように台本ありきではないというのがわかる。人は間違えるがそれを前提にどうするかでもある。
民主主義であろうと独裁であろうと、記録が大切であり、それを歪曲したり黒塗りしりできるのは、基となる紙ベースの文書なり文章がなければできない。
それを破棄したら民主主義であろうと独裁であろうと、統治できるはずはない。
統治されている側がそのことをどう受け止めるのか。
統治する側が隠蔽し、あるいはメディアを使って歪曲し、あるいは人々の耳目をいわゆる下ネタで誤魔化そうと、統治する側が記録を残さないなんて有り得ない。
日本の場合それは、統治しているアメリカの公文書に現われるが、独立国という一見独裁がそのことを歪曲している。ずっとそういう状態が続いている、続いた来た「状態」を、洗脳という。
ウクライナは欧米の介入によって傀儡政権ゼレンスキーだが、日本の自公政権はとっくのとうにアメリカの傀儡政権である。戦後からずっとだ。
今さらウクライナの二の舞になるという表現すら、そもそも虚偽である。
それでもややこしいと表現するジジーの森は、アメリカ軍が日本から撤退するとややこしい日本人が台湾侵略をおっぱじめるという。
そんなものは、台湾のお巡りさんに任せておける範囲内だろうが、日本の警察は在日(特に朝鮮半島と台湾、中国)に対するヘイトには緩い。(上記ビデオでも言われている)
しかし、上記在日の人々も情報操作や目先のカネでずっと騙され続けている。
マイナカードが、カードの不具合ではなく制度として破綻していることは明らかだが、そのことを政治家や役人が知らないのは知らないからであって、知らないのだから議論にすらならないということであって、知らない馬鹿有権者が選んでいるということ自体が有権者も分っていないということで、知らないからこれまで無関心でいたことが自分の首を絞めていることで、それでも有権者の半数しか投票に行かないのだから、それはつまりいまの国会議論などなんの意味もなく単なるセレモニーとか儀式でしかないということである。悲しいかな絵描きにもそういう類は結構多い。
モダニズムによって”啓蒙画”がいまだに美を啓蒙するが、啓蒙と美の追求ということを分けて考えることができない。一歩引いて画面を見ることができない。そういう絵描きはモダンとポストモダンの違いも知ろうとしていない。
慣れ合い画でしかない。映画も音楽もしかり。
バイデンのような反知性権力が、民間人のフロント(役所や学校や図書館など)の職員(人間ロボット)に洗脳を付して配置すると、日本の場合文句は言わず影響される、それでいいのだと思い込む。
元大統領よりも現大統領は批判にいつも晒されなければならないが、アメリカも日本も同様に、トランプ批判はするが現職バイデン批判はしない。
小選挙区制というのは、アメリカ式二大政党政治を模倣した選挙区制度だが、小選挙区では国会議員が国政ではなく地方政治問題を声高に選挙で訴えている。
カネばら撒くにしても少額で済むわけだ。
それで地方の問題が解決するかといえば、全くしていない。選挙でばら撒かれるカネに群がるだけで、群がりタカルことが政治であり選挙だと思い込んでいるから、町会自治ですら横並びで何も考えていない慣れ合い状態だ。
しかし圧倒的に資金力のない野党はジリジリ議席を減らしている。それも貧乏人(根性)故の視野の狭い議員特権願望がなせる業だろう。野党議員とて議会議員は権力者である。
三権分立は、司法・立法・行政からなっているが、野党議員であっても立法府の権力者である。
憲法のこの三権分立は、三権が互いにけん制しあうことでバランスを取る、ということになっている。
けん制しあっているならそこの緊張感が生まれるが、日本の三権には緊張感が全くない、ガチンコでない、初めから代替結果がわかるのはいかにも犬HK独占の相撲の幕内放送みないな日本人感覚だろう。
これを結果ありき、予定調和という。
それでもアメリカはここのところ政権交代をしているし次の選挙でも交代するだろう。
二大政党制のための選挙制度設計なのに、政権交代したことがほとんどないこの国。
同じ制度設計なのに取りあえずは交代くらいするアメリカと、まぁカレーうんことうんこカレーの選択でしかないが、そうならば交代することに意義がある。という選択設計への答えに有権者が取りあえず辿り着くかどうかなんだろうな。