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display 築地移転問題は重要な争点  

2016-07-23 10:00:00 | Weblog

本来ならば、送電と発電を分離した上で、少なくとももっと国民的議論の後、異なる意見が出尽くしてからしかるべき対応、もっと言うと、福島原発事故を解決してからようやく電力自由化という流れが民主主義だろう。

築地移転問題も、土壌や食の安全、流通、漁業、農家、環境、都市開発、公共事業、箱もの行政、TPP、健康、医療、海洋、エネルギーなど多岐にわたる問題を直接利害関係者だけでなく、すべてに人々に提示して議論しなければならないはずだ。

生ものを扱う市場ならなおのこと慎重に慎重を重ね重ねすべきだが、鮮度が命の生もの市場での議論が、ほこりを被った蝋細工displayではシャレにもならない。

レバ刺しが禁止になって、どうしてフグ刺しが禁止にならないのか。その理由をあなたは知っているだろうか。

薄皮一枚処理するかしないかという問題だが、それを問題としない、詳細な原因追求がなされない、議論しない、報道しない、これが日本の文化だが、食という文化の基本を駄目にしているのは皮肉でしかない。

全都知事候補者に訴える! ~続・「築地市場移転問題」を争点化せよ!都庁前アクション 2016.7.20
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/319118


沖縄問題とも深く関わっている。

政府による高江での米軍ヘリパッド強行建設工事と市民による抗議の模様 2016.7.22
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/319749



東京や関東近県の警察や機動隊が沖縄出張しているらしい。つまり東京治安警備は手薄ということだ。テロが起きないよう願うばかりだ。逆に、平和市民街宣ゲリラはやり易いのではないのか。

ここまで追記した。




京の五条の橋のうえ~~ファットファットマーンの・・・


悪口を言うつもりも営業妨害するつもりも毛頭ないことを冒頭でお断りしておきたい。


四条通を散歩していると、ここ横浜とのある共通点に気づいた。
観光客と地元住民との割合とか、日本人と外国人との割合とか、その混合された空気から醸造される雰囲気とか。

そういうもの全てをdisplayだとするとどうだろうか。
本来の昔ながらの文化や情緒などは、コンクリートとアスファルトに埋もれてしまっているが、観光地という雰囲気だけが一人歩きしている。

京都の場合、少し歩けば数世紀の歴史を感じさせるものが現存しているけれど、横浜は少し違う。石碑(ナントカ発祥の地)だけが残され、埋立地や街一帯がいわゆる万国博のパビリオンと化している。

なのでいつもとっかえひっかえしている。年がら年中模様替えをしている。

このまま保守モドキの気持ちの悪い政治を許すなら、この街(京都)も同じ運命をこれから辿るんだろうな~という感想と共通点を持ったのだった。


全国どこでも共通の看板で、出てくるコーヒーも同じプラスチックカップに入っている大通りに面した店では、外国人が路上に設えたテーブルで、大量の排ガスを吸い込みながら喫茶していた。とても不思議な光景だ。

外国からこんなに大勢の観光客が訪れていますというdisplayのようだった。喫茶しているのは京都風コーヒーではないようだったが。

京都の住民はある意味スンゴイな~と、同時に思った次第だ。


鎌倉のご神木である大銀杏が数年前に倒れたことも、屋久島の千年杉が倒れてしまったのも、同じ理由であると確信した。



ちなみに俺が仮に外国に旅行するとすると、現地人に成りきろうとする。それは現地の感覚を肌で味わうということだが、観光とは単にSIGHT SEEINGでしかないことが悲しい。

世界の人々がこれだけ観光交流しても戦争が無くならない理由を、逆に肌で感じたような今回の旅行だったマル






百舌鳥と書いてモズと読む。
小学校の時に童謡で習った。「呼んでる鳴き声もずのこえ~~~」

百以上の鳴き声ということらしい。

そういえば聖徳太子は、複数の人々が同時に言った言葉を同時に理解したらしい。

いずれの方も、会ったこともないし見たこともない。

しかし古墳その他は現存している。さて・・・




この古墳は以降前人未踏の地らしいが、エジプトの古墳がどうなったか?墓荒らしの後に入った考古学は、墓荒らしとはどうして言わないのか?そもそも墓だという確証が実はない。
そういう議論がなされていない。

日本の場合、気持ちの悪い輩である神社本庁や日本会議そして公明党などのカルトが悪用しようとしているので、そのことを知ったうえで取りあえずこのままにしておこうというのが個人的なイマントコだ。

ただし、議論は始めなくてはならなだろう。


*憲法をいじる前に、明らかに不平等な地位協定の破棄の議論から始めるべきだが、カルトは何故かそれをしない。




~公明党から共産党に、学会員の鞍替え始まる~ 公明党70?700万?票減
http://blog.goo.ne.jp/jannmu/e/e65e893d5b1d18cfc9d8ab0ec2742642



第二次世界大戦敗戦時と現在とでは、この国の市民は圧倒的に何かが違う。
敗戦時には、
「朕は堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」

この玉音放送ラジオの前で国民は土下座した。

現在は、正月の皇居でのガラス越しの拝謁とやらに、それでも土下座する国民はいない。


終息を見ない福島に触れず原発を外国にセールスしたり、オーストラリア軍の潜水艦製造への受注の働きかけをしたり、そもそも不戦憲法下では不要ななずの武器装備庁を新設したり、この国の政府与党と首相がしようとしていることは、これだけで理解できる。


アメリカ軍産金融複合体が、どうして中国の経済躍進を許しているかといえば、アメリカと中国は直接は戦争しない合意ができているからに他ならない。
経済で携帯電話ひとつ見ても、ハードは中国、ソフトはアメリカという構図だし、互いに軍拡に余念がない。


今後は中国とロシアの引き離しを謀るのだろう。

まずは無知な国民を騙すことからだが、それをプロパガンダという。


中国が何故あれほどに安価な製品を提供できるのだろうか。労働力はそれほど安くはないはずだ。日本にあふれる中国人観光客は、労働賃金が言われているほど安くないことを示している。

それでは何か?







日本ではゴミはいつの間にか分別がある意味義務付けられて、その市民の努力は分別すればゴミは資源ということは常識だ。

にもかかわらず、市民には何の恩恵もない。ないどころかゴミの収集日を減らされている。美名のもと、行政サービスを削られているのだ。

さて、分別された資源はただの資源ではない、一次加工済の資源なのだ。本来それだけで高値がつくはずだが、分別している市民には恩恵は一切ない。


その資源はいったいどこへ売り飛ばされているのだろうか。

政府は中国嫌いを演出しているが、経済はそうはいかない。好き嫌いではなく、儲かるか儲からないかなのだ。


市町村行政が受け持つごみ収集で、分別後の燃やすしかないゴミ、再生資源とならないゴミは直接収集にくるのだが、どういうわけか資源ごみは民間委託会社が収集していく。お宝は民間会社に税金を支払って収集していただいているわけだ。


それらが中国の安価なハード製造産業に貢献しているとしたらどうだろうか?


形を変えた高価なODAだが、日本にいて日本人やその他の居住者になんの恩恵メリットもない。

人々の善意を金に換え独占しているのは誰なのだろうか?



日本は既に資源大国、しかも一次加工済資源大国なのだ。

東京なら夢の島(ゴミで埋め立てた土地)の地下にも埋蔵金が埋まっていることになる。


一次加工済資源を製品化するエネルギーは、石油を精製するほどのエネルギーは必要ない。
日本が既に開発済みの再生可能エネルギーで十分、雇用も確保できるのだ。





これを元に、過疎過密を解消して地方がそれぞれ力をつける、もちろん地場産業は地方の場合、農林水産だ。燃料代はただに近いことになる。安全ブランドを全面に出すと十分世界と渡り合えるだろう。

しかも一票の格差を理論や統計数値などではなく、物理的に解消できることになる。





何故できないのだろうか?


















2016-07-18 22:19:14
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