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古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

古代オリンピックについて

2019年01月05日 | 古代史

 日本において「縄文」から「弥生」へという時代の変化の根底に一大気候変動があったという論を以前投稿していますが、それは当然全世界的な現象であり、全地球的に時代の転換を迫られたものとみられるわけです。それは文化や制度などにも表れているものであり、この時代に起源を持つものがいくつか見られます。その一つが「オリンピック」です。
 
 雪の降る日々が続きますが、昨年の冬「韓国」の「平昌」で冬季オリンピックが行われたのはまだ記憶に新しいところであり、私の住んでいる北海道からも多くの選手が出場し、彼ら、彼女らの日頃の鍛錬の成果により多くの感動的シーンが見られたものです。
 この「オリンピック」という「競技会」はその始原が「古代ギリシャ」にあり、「ヘラクレス」が「紀元前八世紀半ば」に始めたとする伝承があります。(これはほぼ無批判に「事実ではない」とされているようですが)
 このような「体力」や「筋力」の増強という「オリンピック」の持つ原初的な意味が「戦い」を前提としているのは明白といえるでしょう。「神」に奉納する意義があるとされていますが、だからといってそれが「前八世紀付近」で始まる理由とはならないのは確かです。

 その始源として「前八世紀」(紀元前776年に第1回大会が開かれたとされる)という時代が伝承されているのには当然理由があり、それは当時起きていた「気候変動」による民族移動、またそれによる域外勢力の侵入という事態が関係しているとみるのは当然です。当然のこととしてそれが非平和的なものであった可能性は充分あり、それに対抗して武器を持ち、振るい、投げまた走るというようなことが必須のこととなったものであり、そのためには「体力」、「筋力」が優れていなければならないわけですから、「ヘラクレス」がそのような戦いの場において活躍した多くの勇者の「投影」として存在していたものとみることができるわけです。その意味で「八世紀半ば」という時期を始源として伝えられているのは、それが決して「作り話」ではないことを示していると思われます。

 この当時ギリシャでもスパルタでも同様の動きがあり、そのようなポリスの人々がマッスル化を市民の必須の義務(あるべき姿)と考えていたものです。その後100年ほど経つと「競技」としてのスポーツが成立したとみられるわけですが、それは気候変動も一段落し人々の生活に若干落ち着きと余裕が出てきた段階であり、「戦い」を前提としたものではなくなったということではなかったでしょうか。この時期以降「健康」志向という点から体を鍛え、その成果を競うというようなことになったものと思われるわけです。

 アッシリアの「アッシュールバニパル王」のレリーフ(前八世紀)でも自らが直接手を下して「ライオン狩り」をしているのが描写されています。それもギリシャにおいて「ヘラクレス」がそうであったように「勇猛さ」が美とされていた時代に対応する動きであり、アッシリアにおいても「ライオンと戦えるほどに身体を鍛える」ということの示す意味として「戦闘」がその背景にあったとみるのが相当と思われます。それを「王」が行う事でアッシリア全体の人々を鼓舞する意味があったと考えられるでしょう。



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