古田史学とMe

古代史を古田氏の方法論を援用して解き明かす(かもしれない…)

「鈴」と「熊」

2021年11月28日 | 古代史
 この頃札幌でも頻繁に「熊」が出没し油断も隙もないというのが実際ですが、それを見ていて、『魏志倭人伝』には「熊」がいるとは書かれていないことが気になりました。

「其地無牛馬虎豹羊鵲」

 記事の中では上に見るように人畜に害を及ぼす可能性のある動物として「虎」「豹」が挙げられており、それらはいないと書かれていますが「熊」がいないとは書かれていません。このことから当時の「倭」の領域にも「熊」がいるという解釈もありますが、この動物表記は「大陸」や「半島」にいる動物との比較という説もあり、そもそも「半島」では以前から南半分つまり旧「新羅・百済」領域という古代の帯方郡以南には「熊」が少ないという研究もあり、そのことから考えて「熊」が比較対象の範囲に入っていなかったということが考えられます。
 つまり「熊」はいたはずだが「魏使」の視野には入っていなかったこと及び「倭人」からの聞き取りの中にも「熊」に関する情報がなかったということが考えられます。つまり当時の「倭」領域には「熊」の存在が希薄であるということです。それを裏付けるように現在国内の「ツキノワグマ」の生息分布を見てみると明らかに「東」に偏っています。
 各種の「ツキノワグマ」に関する論文などからの理解では、西日本には極めて希薄であり、それはかなり以前からその傾向があったと推定されているようです。たとえば「九州」には現在「熊」はいないとされているようですが、元々少なかったものが「大戦」時期前後に絶滅したと推定されています。
 そもそも「ツキノワグマ」は「ブナ林」のような「冷温帯林」や「中間温帯林」にその生息域があるとされており、東北と中部地域にかなり特異的に分布しているようです。
 西日本では「冷温帯林」や「中間温帯林」そのものが非常に少なく「中国」「四国」の山間部や「紀伊半島」地域などにわずかに残る程度であり、「ツキノワグマ」はそこに「孤立」的に生息しているとみられます。
このようなことは過去と余り変わらない傾向と考えられるわけです。

 ところですでに述べたように「北海道」や「東北」などで熊の出没例が増えていますが、林間作業や山菜採りなど熊と出遭う可能性のある地域で行動する場合「鈴」を鳴らすように、という注意が一般的です。何か鳴るものがあれば熊は警戒して近づかないと思われているようですが、このような「ノウハウ」は最近形成されたものではないとみるのが相当です。なぜなら「熊」も「人」もこの列島に遠い過去から生きてきたものであり、その接触が不幸な結果にならないように工夫してきたと考えるのが当然だからです。
 ところで「関東圏」によく見られる出土品として「鈴」があります。「鈴釧」「鈴鏡」等振れば「音」が出るもののようですが、出土範囲としては平野部など人が多く居住する地域というよりやや山間部の入り口付近の遺跡から出土する例が多いようです。この「鈴」は実は「熊よけ」なのではないでしょうか。
 もちろん「音色」の神秘性もあり、「祭祀」に使用されたとみられるわけですが、その「祭祀」は一般に考えられるような「豊僥」をもたらす「神」に対する感謝等の農業祭祀というより、その前代の「狩猟時代」の記憶を保存しているのではないかと思われ、その「鈴」の効能や「祭祀」の「本義」は「熊」に対するものであり、「鈴」を作る技術が伝来した時点(「古墳時代」と思われますが)で、「熊よけ」の意義を込めて使用を始めたものではないでしょうか。
 つまり「縄文時代」を通じて「山野」で猟をする場合があったはずであり、そのような場合「熊」に遭遇しないように「熊よけ」に何か鳴らすものがあったとみられますが(それがどのようなものであったかは不明ですが「土鈴(どれい)」がそうであったという説もあります。)、それが「鈴」が流入した時点で取って代わられたものと思われるのです。
 ただし「縄文」以降「平野部」の拡大(「縄文海進」の後退による)、平野部での生活に暫時移行していく中で「熊」との遭遇機会も減少するなかで「鈴」に対する意識も変化していったものとは思われます。(一部にはそれ以降「鏡」祭祀に取って代わられたという意見もあるようですが、「鏡」は祭祀に使用されたとは思われず死後「墓」に入れられる程度のもの以上ではなかったと考えています)


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「シリウス」と「桜井天体」

2021年11月28日 | 宇宙・天体
 つい最近「桜井天体」というものがあるのを知りました。これは一九九六年に日本のアマチュア天文家桜井幸夫氏によって発見されたもので、通常非常に暗い天体がゆっくり明るくなったものです。これが変光星や新星現象と異なるのは元になった星が「白色矮星」であり、増光時「赤色巨星」になっていたことです。これは以前に「白色矮星」となっていた天体が、後期熱パルス(ヘリウム殻フラッシュ)という現象の結果、膨張して「赤色巨星」になったと考えられているものです。
 「白色矮星」は「赤色巨星」の進化の先にある天体であり、この場合いわぱ「後戻り」したことになります。
「赤色巨星」が「白色矮星」へと「進化」する過程においては、中心部で核融合反応の主役である「水素」が枯渇してくると「反応」そのものが低下し、発生するエネルギーが減少することとなりますが、そうなると自分自身の質量を支えられなくなり、中心に向けて重力崩壊を起こします。質量が大きい場合は「白色矮星」ではなくより密度の高い「中性子星」になりますが(もっと大きければブラックホールになる)、質量のそれほど大きくない星が「白色矮星」になる際にはいわゆる「新星」現象を起こし、周囲に大きなエネルギーと水素ガスを中心とした物質の放出がありますが、生成された「白色矮星」には燃え残りとでもいうべき「ヘリウム」が溜まっており、これが高温と高圧の元で(主に表面で)ヘリウムから金属元素を生成する核融合反応が起き、それにより光度が上がるとともに発生したエネルギーにより膨張する結果「赤色巨星」へと逆行することとなります。ただし白色矮星の中心部での核融合反応はすでにほぼ停止状態ですから、表面のヘリウムによる核融合反応が低下すると再度白色矮星に戻るものです。

 桜井氏が発見した「桜井天体」もそれ以降確認された「桜井天体」も全て単独星であり、周囲に物質が拡散すると基本的にはその拡散はそのまま進行してしまい、遠方から見ると「惑星状星雲」として観測されることとなります。ただしこの「桜井天体」と同様な状況は「連星」特に主系列と白色矮星という組み合わせの時にも発生すると思われます。つまり連星系の伴星である「白色矮星」は以前「赤色巨星」であったものであり、燃え残りのヘリウムがまだ残っている場合、条件さえ整えば「桜井天体」化する可能性があるものが存在して当然と思われるわけです。そしてそのような状況は「シリウス」星系にもあり得るものと思われ、シリウスB(伴星)においても「桜井天体」化する可能性があると思われますが、それが現実に起きたと(当方が)推定しているのが「紀元前八世紀」及びそれ以前の段階です。

 資料等によれば「シリウス」は「シリウス」と呼ばれるようになる「紀元前八世紀」より前の段階ですでに「赤かった」ようであり、それが「明るくなった」のが「紀元前八世紀」と推測されます。(そのため、その時点で「シリウス」(燃えさかるもの)という命名が行われたとみられる)
 このことは「紀元前八世紀」を遡る相当以前から「白色矮星」から「赤色巨星」へと変化していたことを示すものであり、それが再度「白色矮星」へと戻っていく契機となったものが「紀元前八世紀」であり、その時点で「新星爆発」現象によく似た状況があり、その結果表面付近の物質が強い輻射により周囲へ吹き飛び、その結果「白色矮星」へと戻ったとみられますが(その際周囲に「宇宙線」をばらまいたとみているわけです)、通常の「桜井天体」と違うのはシリウス星系が「連星」であったことであり、周囲へ拡散した物質は主星である「シリウスA」が吸収してしまい、周囲に星間ガスとしては非常に少ない量しか残っていない状態となったものと思われるものです。そのことはシリウスAに金属元素(赤色巨星の中心部で作られる)が多いという観測とも矛盾しません。

 重ねていいますが、「紀元前八世紀」付近に全地球的な「気候変動」(単なる寒冷化ではない)が起きたと推定され、その原因として「宇宙線」の増加があったと推測しているわけですが、私見においては「宇宙線によるエアロゾルの増加」が気候変動に結びつくという研究を重視しています。そしてその「宇宙線」の発信源として「シリウスB」を想定したわけです。そのことは「炭素年代測定」における暦年補正のグラフによく表れており、「紀元前八世紀」付近の放射性炭素の残留量が多いと考えられることにつながるものです。これが「太陽活動」の低下によるものとは思われないと考えられるのは「シリウス」に対しこの時期広い範囲でいろいろな意味で注目されるようになったことがあり、たとえば「ローマ」における「ロビガリア」祭祀の始まりと「シリウス」の関係や、「ギリシア」におけるこの時点での「シリウス」(燃えさかるもの)という命名、「エジプト」における「シリウス」と「太陽」とが同時に昇る「ヘリアカルライジング」という現象を起点とする「暦」の使用開始など等々いくつかの「シリウス」に対する捉え方にこの時期「画期」というべきものがあったとみられることがあります。(「バビロニア」における「シリウス」を含む天体観測とそれを元にした「暦」の始まりが「紀元前八世紀」であることを含む)
 古史料に出てくる「シリウスが赤かった」という記録がそれなりの正当性があるとすれば、現実に今「シリウス」が白いという事実と向き合う必要があり、それは即座に「シリウスB」という「白色矮星」についての理解に改革を施す必要があるものです。その意味で「赤色巨星」に一時的になっていたという「桜井天体」仮説は有力と思われるものです。

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久しぶりの「月」(続)

2021年11月26日 | 宇宙・天体
以下は以前投稿したものですが、画像ファイルから写真が消失しており、どのの写真を投稿していたかが不明となってしまっています。
改めて「それらしい」写真をアップしますので了解願います。

札幌も雪が降るようになり、いよいよ冬がやってきました。ついこの間まで記録的な暑さだったのが遙か昔のようです。

母が亡くなった後、母の遺影とともにあちらこちら旅行していましたが(ドライブが好きだったのですが、体を悪くしてからロングドライブができなくなり寂しそうでしたので)、道路事情も悪くなり峠越えは危険がいっぱいなので(長距離便のドライバーは大変だなと思います)、冬ごもりするしかなくなりました。

その前にというわけでまた月を見てきましたので写真を乗っけておきます。
データは以前と同じで、20cmシュミットカセグレンに25mmアイピースで拡大したものをスマホで撮影したものです。(日付は全く違いますが)
ただし二枚目は0.63×のレデューサーを入れてあります。




近所の公園でこのような感じで撮影していました。

こんなことも冬になるとなかなかできませんから、来春まで(多分)お預けです。
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