2010年5月15日(土)
先週、大田から明木まで歩いた時に見かけた「赤間関街道」の道標だが、調べてみると、萩から下関(赤間関)までの旧街道を総称して「赤間関街道」と呼んでいたことが分かった。
正確には三つのルートがあって、明木から萩往還を離れて、絵堂~秋吉~河原(美祢市)~四郎ケ原と辿り、吉田で山陽道に合流する幹線道路であった「中道筋」と、長門の海岸沿いを回る「北浦道筋」、そして、この北浦道筋の途中(長門市深川)から山中に入り、俵山~西市~田部~小月で山陽道に合流する「北道筋」だ。
中でも「中道筋」は一番重要な街道であったようで、幕末期に吉田松陰や高杉晋作などを始めとする志士たちが幾度となく駆け抜け、そしてまた、幾多の幕末騒乱(戦争)の舞台でもあった訳だ。
…って、こんなことは、小学校でも中学校でも、一度も教わった記憶が無いのだが、それとも教わったのに忘れてしまったのだろうかネ?
てな訳で、この赤間関街道を歩いてみることにし、バスで絵堂まで行って、先週歩いた道を一の峠まで戻ってくる。一の峠のほぼ坂上あたりに「左大田 右せき 道」と彫られた昔の道標が残っていて(写真上)、赤間関街道の標識も立ててある
それはいいのだが、この道標から先僅か数十m程で、未舗装だが綺麗な道路に出くわした(写真中の手前の道)。この綺麗な道路を横切って直進すればよさそうなのだが、直進すると明らかに深い藪の中に分け入って行かなければならない。
多分、藪方向(写真では左斜め前方)に行けば街道だろうとは思いつつも、ままよとばかり綺麗な道の方へ右折して、登り坂を歩き始めた。
4駆の車なら充分に登れる山道を25分程度登って行くと、鞍掛山の頂上に辿りついた。ここには、民放・NHKのサテライト、ドコモの小じんまりした基地局、そしてKDDIのどでかい基地局などが鎮座していた。ソフトバンクは………無かった。
頂上で行き止まりになったので、仕方なくまた来た道を下山し、先ほどの藪の中に入っていく。ほぼ1時間近くの寄り道であったが、ここは案内標識の一つでも欲しいところではあるナ。
この先、藪道は結構長く続くのだが(写真下)、旧旭村(現萩市)と思われる地域内では標識も見当たらないので、後は「カン」で先に進むしかない。
やがて旧美東町と思われる地域に入り、養鶏場や大理石加工場などの横を抜けて行くと、辺りの景色が段々と秋吉台風のカルスト台地に変貌してくる。
その2へ続く
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