霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

赤間関街道北道筋(湯本⇒俵山)その2

2010年12月05日 | 赤間関街道
2010年12月5日(日) その1からの続き

大寧寺を後にして県道34号の坂を登って行くと、大寧寺から5・600m位先の右手下に、旧道が見えてくる。以前はこの道がそのまま大寧寺峠に通じていたらしいのだが、最近誰かが歩いたという情報が無いまま、熊避け鈴をぶら下げて山中に入っていった。
1km余りまでは普通に歩けたのだが、あと500m位で大寧寺峠の県道に合流すると思しき辺りで遂に道が無くなり、やむをえず引き返すことにした。
引き返す途中で出会ったお爺さん(92歳と言っていた)に、この道のことを聞いてみたら、『つぃこなぁいだまでは通れおったがのぉ、今は誰も通らんけぇ無理じゃろぉ』とのことだった。
このお爺さんの言う「つぃこなぁいだ」(ほんのちょっと前)が、ほんとにちょっと前なのかそれとも10年位前なのかは分からない。
けれどもお爺さんの話しによれば、樵(きこり)や炭焼きが居なくなったので山に人間が入らなくなって荒れ放題になり、その結果が大水害になったり熊が人里に出たりするのだと、何とも最近の世情をズバリと言い当ててくれたのには、正直びっくりした。

仕方がないのでもう一度県道に戻って坂を登って行く。この道を車で通ったことのある方はご存じの通り、大寧寺峠を越えるまでは七曲がりと急坂の連続する道だ。
ようやく大寧寺峠(写真上)を越えて、今度は緩やかで比較的真っ直ぐな坂を下って行く。小原集落を過ぎて木津川沿いに更に行くと、左手に「千代の滝」が見えてくるので、県道を外れて滝の下まで行ってみた(写真下)。
説明板に書いてある伝説によれば、大昔に木津川に住んでいた龍が、日本海側へ行ってみたいと思って飛び跳ねたそうな。で、大寧寺の近くまで飛んだ時に、飛び立った跡にできたのがここの滝だそうな。ありそうでなさそうな話だが、昔の人って、よくこんな奇想天外な話を思いつくもんだねぇ。
それに比べると現代人の発想の、何と貧困でスケールの小さいことか…

やがて道の左手に能満寺山が見えてくる。

その3へ続く



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