霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

赤間関街道北道筋(湯本⇒俵山)その1

2010年12月05日 | 赤間関街道
2010年12月5日(日)

今日は前回(三隅⇒湯本)からの続きで、JR長門湯本駅からスタートだ。例によって、美祢線の代行バスで駅前に降り立ち、湯本温泉街を抜けて県道34号に入る。

大寧寺川沿いに往くとすぐに、大寧寺の伽藍が見えてきて、県道側からの入り口には、防長三奇矯のひとつに数えられた「盤石橋」が架かっている(写真上)。
300年以上も前に架けられた橋で、当時の燈外和尚はこの橋ができたときに『この橋は、煩悩を断ち、世俗の汚れも断ち切る』と歌に詠んだらしいが、オイラのような煩悩まみれの俗人では、何度橋を行き来しても断ち切れないもんだ …(爆

盤石橋を渡ってすぐ右手にあるのが、「兜かけ岩」と「姿見の池」だ(写真中)。
陶隆房の反乱で山口を追われた大内義隆主従がこの寺に辿り着き、まずはこの岩に兜を掛けて、そばの池に顔を映そうとしたが水面に自分の姿が映らず、己の運命を悟って潔く自刃したとのこと。室町時代末期に、日本一の財力を持つ大大名と謳われた大内氏の、何ともあっけない最期ではある。
因みにオイラも姿見をしてみようと思って池を覗いてみたが、雑草がかなり生繁っていてよく見えなかった。ってぇことは、オイラの命ももう風前の灯火か?

本堂裏山には大内義隆公の墓所や、それ以降の毛利家重臣の墓地群もあり、歴史のなかで幾度となく繰り返される栄枯盛衰を感ぜずにはおられない。大内義隆の辞世の句が、見事にそれを語っているように思う。
  討つ人も討たるる人も諸ともに、如露亦如電応作如是観(にょろやくにょでん、おうさにょぜかん)
  (討つ人も討たれる人も、人生は、露のように稲妻のように、儚いものだ)
名も無き羅漢さまが、紅葉の落ち葉に囲まれた境内を、静かに見守っておられるように感じてしまった(写真下)。

その2へ続く



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