霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

柴又から矢切へ

2007年12月25日 | 関東の旅(東京23区)
⇒岡村家一族 2007年12月24日(月)
朝から快晴だが、冷たい北風が吹き荒れているようで、一服しようと窓を開けると、ビュービュー風が部屋に舞い込んでくる、…てな気候にもめげず、出かけた。
綱島居住時代にも来たことのある柴又へ行くことにして、京成高砂駅前から歩き始めた。⇒柴又駅⇒帝釈天参道⇒柴又帝釈天⇒山本亭⇒寅さん記念館⇒矢切の渡しと歩いてみた。帝釈天では、本殿の「帝釈堂」と大庭園の「邃渓園」に400円を払って入ってみたが、ここの彫刻ギャラリーは見応えのある(写真上)ものばかりだ。
参道の「とらや」で名物の草だんごを買い求めて、頬張りながら歩いたが、寒さのせいか祝日とは言え流石に人出が少ない。おまけに、矢切の渡しも強風のため運航取りやめになっていて(写真下)、仕方がないので江戸川の少し上流にある新葛飾橋(水戸街道)を歩いて、松戸市側へ渡った。
江戸川河川敷を少し下って、野菊の小道⇒矢切橋⇒野菊の墓文学碑⇒矢切神社⇒矢切駅と歩き、更に、じゅんさい池緑地⇒里見公園/国府台城趾⇒国府台(こうのだい)駅⇒市川橋⇒小岩駅前⇒奥戸新橋/奥戸街道⇒京成立石駅前⇒四つ木と辿って、結局ぐるっと一回りして自宅まで歩いて帰ってしまった。5時間半の37,498歩だった。
矢切神社近くの庚申塚に、近辺の由来が書かれてあったが、それによると、室町時代末期の戦国期に、北条氏と里見氏との間で30年近くに渡って、この地で戦乱が続いたようで、中でも、世に国府台合戦と呼ばれる激しい戦闘では、この矢切の辺りが主戦場になったらしく、戦死者は一万人以上と言われている。
戦闘員の男は勿論だが、非戦闘員の女子供もその被害にあったのは当然で、それらの耐え難い苦しみから、弓矢を呪う余り、「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」などの地名が残されたとある。何とも悲惨で、かつ、人間の愚かさはいつまでもどこまでも罪深いものだと、改めて感じさせる。


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