霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

赤間関街道北道筋(俵山⇒西市)その1

2010年12月12日 | 赤間関街道

2010年12月12日(日)

先週の続きは、山陽本線小月駅からバスに乗り、俵山公民館前で下車してから、始まる。木屋川上流沿いの県道34号を一路南下するが、豊田湖に近付くまではほとんど民家も無く、ひたすら歩くしかない。
それでも大石バス停を過ぎて暫く行くと、長門市から旧豊浦郡豊田町に入るので、路傍には「北 大津」「南 豊浦」と書かれた標柱が地味に建っているのが見える(写真上)。

その先で、豊田湖の東側を通る県道34号と、西側を通る319号に分岐するのだが、ちょうど分岐点に「安徳天皇西市御陵墓」がある(写真下)。ここのバス停の名称は、何と「天皇様」と書かれてあるのだが、恐らくこんな名前のバス停は日本広しと言えども、ここだけではないだろうかネ。

壇ノ浦の合戦で二位の尼に抱かれて入水した安徳天皇の陵墓と伝えられているのだが、説明板によれば、合戦後に底引き網にかかって安徳天皇の御尊骸が発見され、埋葬の為にこの地にさしかかった。ところが、何故か急に重くなってこれ以上運ぶことができなくなり、困ってこの地に埋葬したらしい。

日本全国に、安徳天皇御陵墓と言われる伝説が何箇所もあるようで、正式には「陵墓参考地」と言うらしく、宮内庁が指定しているそうな。ここにもちゃんと、宮内庁の立入禁止看板が建っている。
毎年4月24日には、安徳天皇を偲んで「先帝祭」がここで執り行われるとのことだ。

その2に続く



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