2011年9月17日(土)
前回、この街道を歩いたのは7月9日だから、かれこれ2ヶ月以上も間があいてしまった。今年の夏は、休日の度に何やかやと予定が入ってしまい、なかなかゆっくりとウォーキングに出かける時間が取れなかったが、ようやく涼しくもなってきたので、また再開だぁ。
前回からの続きで、新山口駅前からバスに乗って十文字まで行き、ここからまずは綾木方面へ歩き始めた。すぐに田代台病院入り口と、小郡萩道路の十文字IC入口交差点にさしかかる(写真上)。この辺りは、小郡萩道路が一部開通してから、車の交通量や景観がかなり変わったのだろうか。
山間の長閑な道(…っつっても国道490号だが…)を北上すると、遠くから歓声や太鼓の音が微かに聞こえてくる。近付いてみるとそこは綾木小学校で、運動会の真っ最中だった(写真下)。子どもたちの打ち鳴らす太鼓に合わせて、保護者や近所の方達が輪になって踊っている姿は、なかなか微笑ましいものだ。
綾木小学校先の「柿の木原」交差点で右から来る県道28号に突き当たるので、これを左折する。この辺りからすぐ先の植竹交差点までは肥中街道と重なっており、ちょうど一年前に歩いた道だ。
植竹交差点の先は、左手に大田川が緩やかに流れ、やがて、見事な枝振りの大田往還道松が見えてくる(写真下)。県下でも最大の街道松だそうだが、他の街道松と同じくマツクイムシに蝕まれないように、関係者のご努力もひとかたではないだろうと推測する。
旧美東町中心部の大田地区に入ったところでスコールのような土砂降りにあい、ひとまず「道の駅みとう」で雨宿りがてら小休止する。いくらか小やみになった頃合いを見て、傘をさして再度歩き始めたが、それから30分位は小雨が降り続くありさまで、足下がかなり濡れてしまった。
長登銅山入口で左折して国道490号から離れ、絵堂へ続く旧道を往く。昨年5月に大田から明木への道を歩いた時にもここを通ったのだが、この時の記事を見ていただくと分かるように、この付近の石灰岩の岩盤を削岩機でガリガリと崩した結果できたのが、この小郡萩道路なのだ(写真下)。
新聞報道によれば470億円かけて造った道らしいのだが、何とこの写真のように、走行する車を被写体の中に入れようとすると、暫くの間シャッターチャンスを待たなければいけないほど、車が通らないっ!!!
果たして本当に、この時期にこの道路をこのルートで造る必要があったのか、疑問を抱いているのは多分オイラだけではないと思う。どう贔屓目に見ても、この道路が無いと渋滞で難儀をして物流が滞るとは思えないし、逆に、国体を口実にして不要不急な道路を造ってしまったのではないかとさえ勘ぐられても仕方のない、そんな道路のような気がするのだが…。
この道路の峠付近で、左からの赤間関街道中道筋と合流し(写真下)、ここまでの舟木街道もここから先は瀬戸崎街道になる。
道はやがて下りになり、絵堂の旧街並み(…と言うほどの街並みでもないが…)、に入る。
絵堂交差点をそのまま直進して雲雀峠へ向かうのが赤間関街道中道筋だが、瀬戸崎街道はこの絵堂交差点を左折する。美東ごぼうの産地と言われる赤郷地区を抜けると、道の右手に用水池が見えてきて、その先が今日の目標地点の「宮の馬場」だ(写真下)。
街道はこのまま直進するのだが今日の歩行はここまでとして、交差点を左折して500m程のところにあるサファリランドへ向かい、一休みした。
サファリランドへ到着してからも相変わらず断続的にスコールに出会い、お陰で足下が乾く暇もないほど。約2ヶ月振りのウォーキングだったが、ちょうど5時間の歩行でいくらかの疲労を足に感じたので、大人しくさっさと帰宅することにした。
⇒瀬戸崎街道(宮の馬場⇒長門市駅)へ続く
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