霊の「関東……もとい、長州ウォーキング」

「関東歩き旅」の続編で、「長州歩き旅」を始めました

舟木街道(船木⇒十文字)

2011年07月09日 | 舟木街道・瀬戸崎街道

2011年7月9日(土)

前回(6月4日)の続きで、山陽本線で宇部へ行き、宇部駅前から船鉄バスに乗って終点の船木で下車し、ここから街道を歩き始める。前回も立ち寄った「楠こもれびの郷」を右に見て、万倉集落を抜けて県道30号を北上する。
漸次、道は次第に山中に入っていくのだが、歩道が無くなってしまって歩きにくいことこのうえない(写真上)。途中で、「森の駅 楠」入口と書かれた看板があったが、一体何があるのだろうか。入口からの距離も、どんな施設かも書いてなかったし、おまけに、看板の先は更に細い山道に通じていたので、寄り道をするのをつい躊躇ってしまった。

吉部地区の少し手前、芦河内集落の入口三叉路に、立派な石碑が二つ建っていた(写真下)。実際は夏草が茫々と生えていて、石碑の上四分の一程がやっと見える状態だったので、手前の草を少し掻き分けて撮ったのがこの写真だ。

元陸軍大将の井上幾太郎氏は知らなかったが、元日本石油会長の栗田淳一氏は多少知っていて、自身の小児麻痺にも負けずに、その根っからの実直さと誠実さでトップに就いたと聞いている。このお二人が、この辺りか又はここから更に山奥に入った芦河内集落の出身ということなのだろう。

街道は、県道から時々離れたり合流したりしながら小さな峠を越えると、漸く吉部地区に入る。真っ先に目に入るのは、吉部八幡宮の鳥居と、その先に続く長くて立派な参道だ(写真下)。

八幡宮の由緒によれば鎌倉時代(弘長元年)の創建で、大内氏・毛利氏と社領を安堵された後、三田尻・小郡・高泊(小野田)の開作地の工事成就祈願を行ったとある。吉部の集落は、車で県道を通り過ぎると全く分からないのだが、一つ奥まった街道沿いを歩いてみると、赤瓦のどっしりとした大屋根の旧家が何軒が残っていて、往時の繁栄を偲ばせる。

東吉部の荒滝山入口を過ぎて更に北上すると、「耳観音」と書かれた案内板が目に付いたので、左折してみた。「観音」と言う程のものではなくて、穴の開いた大きな岩がご神体なのだが、参詣時に穴の開いたものを持ち合わせていない人のために、入口には、穴の開いた硬貨のようなものがご丁寧に自転車かごに入れてあった(写真下)。有り難くこれを一枚拝借し、奉納させていただいた。


この辺りの右手を流れているのは厚東川で、川の水はやがて小野湖を満たし、更に厚東川ダムを経て宇部湾に注ぐのだが、逆に上流は、秋芳洞や景清洞それに別府弁天池などから流れてきているのだナ。
街道は小さな峠を越えると宇部市に別れを告げ、いよいよ美祢市(旧美祢郡美東町)に入る。中国自動車道の高架下を潜るとすぐに、十文字の交差点(写真下)が見えてくる。


今日はここまででちょうど5時間を経過したので、ここから帰宅するかそれともどこかに宿をとるかの選択をすることにし、幸いにして、「景清洞トロン温泉」で素泊まりができることになったので、十文字からバスに乗ってまずは秋芳洞へ行き、更に東萩行きに乗り換えて宿に向かうことにした。

「おまけ」に続く



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