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本多平八郎忠勝(千葉県大多喜町) No.3

2009年01月02日 | 本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)

 こうして、本多隊、内藤隊が先発の偵察軍として出発し、家康自ら三千の具運税を率いて出陣した。忠勝は出陣前に家康に言った。
「殿さん、わいがしっかりと信玄坊主の様子を探ってきますで、わいの知らせが来るまでおとなしゅう待ってて下されや。」
「平八!わしを見くびるかあ!おのれが先陣切って、信玄坊主の鼻柱をぶったたきゃあ、わしがやつの首をへしおっちゃる!」
「いかん、いかん、殿さんはやまっちゃいかんぞ。」
 忠勝は家康とそんなことを言いながらも、殿さんは決して無茶はせんと思っていた。とりあえずの物見の出兵だが、大将と部隊長がいかな不利な戦況であろうと心は決して折れてはいないということを示すのにはこれほどの言い合いが必要だと思ったからである。

 しかし、徳川方の読みは甘かった。武田軍は家康の読みよりもはるかに南進し、ゆっくりと進んだつもりの本多隊、内藤隊はついに武田隊に遭遇してしまう。忠勝はあわてた。自分の心配ではない、殿さんの心配である。緒戦の接触である。忠勝は何とかここは自分で抑え、家康本体、内藤隊は逃そうとそれぞれに使いを送った。
「武田に遭遇。ここは平八が死守いたすので、浜松に引いて下され。大事の前の小事。兵を無駄死にさせちゃいかん!」
 家康は、
「平八を死なせちゃいかん!奴ぁ、徳川の守り神じゃ。奴に傷を負わせちゃいかん!内藤に必ず平八を助けるように伝えよ!」
と言った。
 殿軍を務める本多隊は大苦戦である。家康と内藤を逃すために忠勝自ら槍を振るい、追いすがる敵軍をたたきながら、必死の闘争を試みるが、武田の大軍は少々引っ掻かれたようなもので、すぐに本多隊に追いついてしまう。
 徳川軍は一言坂の下に陣取り、混乱しているしんがりの本多隊には武田軍の先鋒、馬場信春が容赦のない攻撃をかけてきた。また、同じく武田軍の小杉左近が先回りをして本多隊の退路を断とうとし、鉄砲を撃ちかけてきた。本多隊は更なる混乱に陥っていく。
  覚悟を決めた忠勝は生き残った部隊をまとめて叫んだ。 
No.4に続く *画像


本多平八郎忠勝(千葉県大多喜町) No.4

2009年01月02日 | 本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)

「もはやこれまでじゃ!よくぞいままでわいに付いてきてくれたあ!ここからは大滝流の陣で敵軍を突破する。よもや生きて帰れるとおもぅな!わいらはもう死んだ身じゃあ!そのつもり突撃せい!運が良けりゃ地獄で会おうぞ!」
 生き残った隊はこの忠勝の言葉に奮い立った。大将が泣いている。泣き叫びながら、わいらの死場所を整えて下すった。こりゃもう、家康の殿のためじゃない、忠勝の大将のために派手に散って見せようぞ!という意気込みが満ち満ちていた。
「えい、えい、おう。」
 鬨の声をあげ、すでに死んだものとして突撃する本多隊。それを迎え撃つ小杉左近は思った。
「こいつはいかん。あやつら、すでに死んでいる。死人の部隊の突撃じゃ!死人と闘っても得するところは一つもない!」
と、怖気づいたか、情けをかけたのかはわからないが部隊に命じた。
「やつらすでに死に兵じゃ!死人と争うても仕方がない。たたりのないよう道を開けよ。奴らを地獄に逃れさせい!」  

 忠勝は驚いた。数十度、戦に出て傷一つ負ってはいないが、今日が自分の命の最後の日と覚悟しての突撃だったが、なぜか敵は道をあけていく。
(助かった。)
 正直、そう思った。敵方の部隊を駆け抜けるとき、敵の大将らしき人物を見つけた。
「貴殿、この部隊の大将かあ?わいらすでに覚悟をきめての突撃じゃに、何故道をあけるずら?」
「おう、本多の大将とお見受けした。あまりの決死の突撃に、この小杉左近、乱心して、槍がくりだせなんだわい。足を止めるな、止めたら正気になって打ち果たすぞ!」
「小杉殿、ご尊名、忘れはしませんぞ。」
と、忠勝は叫び、辛くも戦場を離脱した。
 浜松城に帰還した真っ赤な血に染まった忠勝を見て家康が声をかけた。
「おう、さすがの平八も信玄坊主との激戦にはついに負傷したか!」
 が、なんとその真っ赤な血はすべて返り血で、あの激戦の中をおのれの血は一滴も流していない忠勝であった。
  

No.5に続く  *画像


本多平八郎忠勝(千葉県大多喜町) No.5

2009年01月02日 | 本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)

小杉左近はなぜ忠勝を逃したのだろうか?怖気づいたか、武士の情けかはわからないが、後日、一言坂にはこんな落首が落ちていた。

家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八

 小杉左近の作と言われているがいかがであろう?もし、小杉の作であるというのが真実ならば、小杉左近が本多忠勝の武将としての力量を見極め、ここで死なすには惜しい武将と思ったのであろう。それは怖気づいたのでも、情けでもなかった。同じ戦国の世に戦う武将としての友情にも似たものだったのではないだろうか。

お付き合いいただいた方、ありがとうございました

ん?なんかうそくさいな、と思われた方もいらっしゃると思いますが、半分ぐらいは僕が適当に付け足したことです。苦情等がありましたら、お聞かせください。 by 久我原

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』本多忠勝  一言坂の戦い

徳川四天王・十六神将の一人。57度の合戦に出陣し、一度も傷を受けなかったという。その活躍は、信玄や秀吉ら敵将から「花も実もある猛将」「古今独歩の勇士」「家康に過ぎたるもの」と褒め称えられた。

いすみ鉄道大多喜駅では、本多忠勝侯に願掛けができま

本多忠勝侯に あやかった『大多喜開運切符』があります。

懐にしまってもよし、難関をも通りぬけた忠勝公の強運を得て、何事もあきらめずに努力を続ければ、そのご加護により必ずや願いは成就することでしょう。

http://www.isumirail.co.jp/kikaku/ticket.html