いすみ鉄道ファン

皆様方のご来訪をお待ちしています

こんな方がいすみ鉄道を応援しています!

2009年10月31日 | 応援する人達・いすみ鉄道

奥村さんからのコメントに続いて、いすみ鉄道他地域の応援団からの近況報告です。

カメラマンさん達の日々の活動は、掲示板れいるうぇいhttp://itetu7198.bbs.fc2.com/で毎日見れます。

ありがとう~~~う

 

その他にもいすみ鉄道ファンはこんな応援をしています。

 

埼玉のsoychickenさんから

Zoome http://circle.zoome.jp/isumitetsudo/

毎度ご愛顧ありがとうございます!

いすみ鉄道がサークルアクセス数「乗り物部門」の全期間ベスト10入りを果たしましたhttp://www.zoome.jp/rank_view_circle_total_list?theme_l_id=11

soychickenさんは、IT関連企業にお勤めなので、インターネット活用は大得意。いすみ鉄道の動画UP、MAPなどでPRしてくださっています。

この方がsoychickenさんです↓

 

やままさ鉄さんからの報告です。

 

 

ムーミン谷に行ってきちゃいました。埼玉のあけぼの子どもの森公園です。
売店の方に、いすみ鉄道のことを話したら、「テレビで有名じゃない・・」っと。
「いすみ鉄道に 
ぜひぜひお出かけください」と声かけしちゃいました。

 

写真↓に小さく写っている方が、やままさ鉄@スナフキンさんです。

それから、昨夜UPした小説「ドン・ロドリゴ漂着」を書いてくださっている久我原さんは、久我原の方ではなくて、久我原駅で降りたことからこのお名前になってしまいましたが、市川市の方です。 ひょんなことから「いすみ鉄道ファン・小説家」となって頑張ってくださっています。 

大人のコラムhttp://www.otona-column.com/www/index.php?module=User&action=MyNovel&id=820 

大多喜お城祭りでは、「武者行列で本多忠勝侯になるまで参加する」という意気込みの方です。

  

今年の「大多喜お城祭り」ステージにて、本多忠朝公の後ろで旗を持った方が「久我原さん」。姫の姿をしているのが、いつもブログを楽しく盛り上げてくれる「わかこさん&ハイジさん

  

左の写真。 白い帽子の方が祈・大河さん。ベルサイユの薔薇のオスカルと間違えているようなのがジャンヌです。 右の写真、スナフキンの前にいるのが、祈・大河さんと、新聞掲載記事配達人でCM犬・海ちゃんのママみむら姉さん。 

  

 『いすみ鉄道ムーミン列車応援団』の方々が、こぞって、我慢しきれずに、千葉市中央区松波町の、『まつなみ楽市』に、出張宣伝・出張販売に来ます。 みんなも、来てね!   

って、お誘いしているのが写真右の白井さんです

沿線のみなさん☆ 応援しています


いすみ鉄道沿線のノミは何メートル跳ぶ?

2009年10月31日 | いすみ鉄道応援団・いすみ鉄道

国吉駅の看板や、駅の向こうにたたずむムーミンやスナフキン、リトルミイを作製してくださった、「いたみや」の奥村さんからのコメントをご紹介します。

 

俺が鳥塚社長に初めて逢った時にこんな話をされました…

ノミってのは3㍍跳ぶでも1㍍でフタをするとやがて1㍍しか跳ばなくなる…

フタを外してもノミは1㍍しか跳ばなくなってしまうのです…

でも外から新しいノミを入れると最初はその新しいノミだけ3㍍跳ぶけど、思い出したように他のノミも1㍍からまた3㍍跳ぶのです…

皆さんがその3㍍跳ぶノミになって国吉の人達をまた3㍍跳べる事を教えてあげて欲しい…(=゜ω゜)ノ♪」


今日勉強会にきた50匹のノミはいすみのノミ達に「みんなで3㍍跳ぼう」って教えてあげる事が出来たら最高だと思います。

ちなみに俺は「社長、俺はいつでも5㍍は跳んでぜ♪」って言ったけどね…('-^*)v


いすみ鉄道ファンの皆さんも、

いすみのノミ達に3㍍跳べる事を思い出させてあげて下さい…(?_?)ヽ(^^)


ムーミン列車応援団勉強会開催

2009年10月30日 | いすみ鉄道応援団・いすみ鉄道

ムーミン谷ニュース!!

今日は ここいすみ鉄道・風そよぐ谷「国吉駅」で

ムーミン列車応援団勉強会が開催されました。

参加者は50名~60名くらい。

次 第

           (1)地方鉄道の活用による地域活性化について

              講師:(社)日本民営鉄道協会 富井 裕 様

           (2)観光立国のうごきと観光まちづくりのポイント

              講師:国土交通省関東運輸局 前川 雅弘 様

           (3)地域の推進体制等について

              講師:国土交通省千葉運輸支局 奈良 三男 様

写真取材はカメラマンのtassさんから

自然を大切にしていかして下さい

ムーミン谷は夢に満ち溢れています

 

現地のみなさん、お疲れ様でした。お茶でもどうぞ。

勉強された皆さんの感想も聞きたいっ


ドン・ロドリゴ漂着~日墨交流400周年記念ドラマ 第十二話

2009年10月30日 | 本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)

ドン・ロドリゴ漂着~日墨交流400周年記念ドラマ 第十二話 

 本多忠勝の娘小松姫  画:鍋之助さん

お断りしておきますが、これはフィクションですよっ 

でも、大河ドラマってこんな感じよね。

前回までのお話は全部→ コチラ

 翌朝。


 忠朝はのどの渇きを覚えて目覚めた。昨日は少々、いやだいぶ飲みすぎた。かすかに痛む頭を押さえながら、ふらふらと立ち上がり、手をたたいた。
「誰かおらぬか?」
「はい。」
 忠朝の呼びかけに障子の向こうで女の声が聞こえた。その声に忠朝はぎくりとして障子を開けた。廊下には年配の女性が座っていた。
「こ、これは母上。おはようございます。」
「おはようございます。夕べは随分と楽しそうで結構なことです。」
 忠朝の母、久(ひさ)であった。
「いや、そのような嫌味を言われますな。客人をもてなすのも主の勤めでございます。」
「ほほ、これはうらやましいお勤めで。私もそのようなお勤めなら代わって差し上げたいくらいです。」
「そのようにいじめないで下され。私も昨日のことは少々反省を、、、」
と言いかけた忠朝に久は茶碗を差し出した。
「きっとのどが渇いて、お目ざめになるであろうと白湯をお持ちしました。」
「こ、これは、ありがとうございます。」
 忠朝は茶碗を両手で丁寧に押し頂いて、ゆっくりと飲み干した。そのぎょうぎょうしさに久は思わず噴き出した。
「ほほ、三浦様たちはすでにお目覚めで中根が相手をしています。城下の様子を見てみたいとのことで忠朝殿のことお待ちです。さあ、早う支度をされなされ。」
「はい。」

 忠朝の母、久は忠勝の正妻であるが、桑名に移った忠勝にはついて行かずにこの大多喜に忠朝と供に残った。桑名では側室の乙女が忠勝の世話をしている

 徳川四天王の猛将も今は忠朝の兄、忠政に家督を譲り、乙女と供に静かに暮らしている。

 忠朝が父の忠勝の勇猛な血を引き継ぎ、関ヶ原でも家康から「流石に平八の息子。」と絶賛されたが、兄の忠政は忠朝に比べればおとなしい性格である。

 忠勝は忠政よりも忠朝の勇猛さを愛し、大多喜に残る愛息子のために実母を残したという説もあるが、実は正室の久よりも側室の乙女を愛していたのではないかというのは勝手な想像だろうか。


 ちなみにこの側室(乙女)の生んだ娘が、家康の養女となり、真田信之に嫁いだ小松姫である。

 この小松姫は関ヶ原の戦いの時に信之と袂をわけた義父の真田昌幸が沼田城に立ち寄ったときに「父といえども、敵は一歩も城には入れぬ。」と薙刀を片手についには追い返してしまったという豪のものであった。さすがに忠勝の娘、忠朝の姉である。

 さてさて、本多家の家族の話はさておき、、

 支度を整えた忠朝はロドリゴと按針が待つ大手門へと向かった。忠古が按針と話し込んでいる。人当たりの良くない忠古が饒舌に客人と話し込むなど珍しいと忠朝は思った。どうやら、昨日の宴席の忠古の狂言のことを話しているようだ。按針もロドリゴもこの男の能面のような顔つきの裏には実は人情とひょうきんさを隠し持っていることを感じ始めているらしい。饒舌な忠古の表情は相変わらず冷たいが、昨夜のぶっきらぼうな口調とは違い、この二人の異人に心を開いているように忠朝は感じた。


 その後、忠朝自らが先頭に立ち大多喜の町を案内し、父から譲り受けたこの領地をもっと豊かにするために新田開発を考えていること、本多家は桑名の父、兄とともに徳川幕府の安泰に力を尽くしているなどという話をした。ロドリゴはその領民たちを慈しむ心と徳川家に対する忠誠心を知ると、大多喜藩主としての忠朝に感心をした。荒々しい性格ではあるが、キリストの教えを知らないこの若い領主が慈悲の心を持っていることがロドリゴには不思議に思えた。


 江戸への旅立ちの時、ロドリゴは言葉が通じないながら忠朝と忠古に友情を感じ、その別れを惜しんだ。こうして、静かだった岩和田と大多喜をさわがせたロドリゴ一行は按針と供に江戸へ旅立っていった。

 忠古はその後ろ姿を見送り、ほっとする半面、なんとなくさびしさを感じた。あのロドリゴの感謝の表情が忠古には忘れられなかった。  続く 

鍋之助さんの戦国画をお借りしてます 

http://sengoku-gallery.com/index.html

Otaki castle is the inner citadel added to a style of castle walls, Tadakatsu is as the first owner of that castle.This castle is a museum now where we can see a Japanese swords, a suit of armors and so on.
Otaki castle is located in Otaki town in Chiba prefecture.It takes 15minutes from Isumi railway ・Otaki station on foot.


ドン・ロドリゴ漂着~日墨交流400周年記念ドラマ 第十一話

2009年10月30日 | 本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)

偶然にも今日は千葉市の安藤操さんが「ドン・ロドリゴ日本見聞録」出版の新聞記事がありましたが・・・いすみ鉄道ファンでは、ユーモアたっぷりのヴァージョンが続いています。

本多忠朝  画:鍋之助さん

御宿岩和田浦でドン・ロドリゴ一行を乗せたサン・フランシスコ号が座礁し、それを救助した時の城主が本多忠朝侯です。(画像は鍋之助さん作) 当時メキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)はスペインの植民地でしたので、スペインとの交渉もここから始まりました。 鎖国政策によって途絶えてしまった250年ですが、明治22年に我が国とメキシコとの間で「日墨修好通商条約」が締結されました。 これは、開国以来初めての平等条約として知られています。それを記念して久我原さんが小説を書いてくれています  

お断りしておきますが、これはフィクションですよっ 

  前回までのお話は全部→ コチラ

 

忠古の憂鬱な宴の時間となった。
 殿様は父、忠勝公の後を継ぎ大多喜を治め、更なる新田開発を計画している。立派な殿様だと忠古は思っていた。ただ、酒癖が悪い。飲めない忠古にとってはこれが殿様の唯一、嫌な部分であった。今日は、遭難者とはいえ、元フィリピン総督のドン・ロドリゴと幕臣、三浦按針の歓迎の宴である。悪い事が起きなければ良いが、、、

「三浦殿、ロドリゴ殿、改めて、ようこそ大多喜へ。これをきっかけに徳川家とイスパニア国の絆が深まる事を祈っております。こんな田舎でたいした事は出来んが存分にお過ごしくだされ。では、乾杯。」
 忠朝の音頭で乾杯がされた。ロドリゴが杯に口をつける。初めて日本酒を飲んだ。見た目は白くにごって牛の乳のようだが、とろりとした舌ざわりにほんのりと甘みがあり、のど越しにアルコールを感じられる。按針がロドリゴに日本酒の感想を聞いた。
「ロドリゴ殿、日本酒の味わいはいかがかな?」
「はい、慣れ親しんだワインとは違い、この様にまろやかな味わいの酒は初めてです。」
「私は、アルコールのきついウィスキーに慣れていたので、最初は物足りなく思ったが、慣れてくるとこれが良くてな。ただ、口あたりの良さの割には、結構足に来る。ロドリゴ殿も気をつけられよ。ふぉふぉふぉ。」
「そうですか。なるほど、この口あたりがとても酒とは思えぬが、杯を重ねればワインと同じような酔い心地なるかも知れません。」
 二人の楽しそうな様子を見て、酒好きの忠朝は興味を持った。
「なんじゃ、三浦殿。楽しそうだが、酒の話か?」
「本多殿、ロドリゴ殿は日本の酒が気に入ったようです。」
「そうか。我が領地で作る酒は自慢でのう。異人のお二人が気に入るかどうか心配していたところです。そいつは良かった。があ、はははは。」
 忠古は上機嫌の忠朝を見て、今日は早めにお開きした方がよさそうだと思った。機嫌よく酒が進み、失態を起こさなければ良いが。
 忠古の心配をよそに、酒は進み、忠朝も大分酔いが回ってきたようだ。小半時も過ぎた頃であろうか、三浦按針が忠朝に声を掛けた。
「本多殿、ロドリゴ殿が、本日のお礼にとイスパニアの酒をお持ちになっています。回収された積荷の中に残っていたとの事で、お酒を好まれるのであれば是非、本多殿にも飲んでいただきたいと。」
 忠古は眉間にしわを寄せて、忠朝を見つめている。
「三浦殿、私は飲みたいのは山々だが、見張りがダメだというております。」
「見張り?見張りとはなんのことで?」
「ほれ、あそこに。」
と、忠古を指さした。
「お戯れを。」
 忠古は短く答えたのみであった。
「三浦殿、あの堅物はほうっておいて、せっかくのるろりこ殿の志。いたこうレはないか。」
 忠古はぎくりとした。殿のろれつが回らなくなっている。何も無ければ良いが。
 忠朝はイスパニアの赤い酒、ワインを飲んだ。渋い。
(ロドリゴ殿は良く、こんなものをうまそうに飲むな。)
と忠朝が思っていると、ロドリゴが忠朝にスペイン語で何か話しかけてきた。
「ん?三浦殿、るろりこ殿はなんと言われた。?」
「ワインの味はいかがかと?」
「うん。ちと、渋いのう。それに、この赤い色は血の様でなんとなく気味が悪いが、、」
 ロドリコは忠朝がどんな感想を持っているかと、忠朝の顔を見ている。それに忠朝は気がつき、
「いや、せっかくのるろりこ殿の好意、ありがたく頂戴しましょう。」
と言うと、按針が小声で答えた。
「いや、実は私もワインよりもウイスキーの方が好きでございます。やはり、故郷の酒の味わいが一番でしょう。」
「うえすけー?」
「私の故郷の酒です。ウイスキーは日本の焼酎の様な強い酒です。これに比べれば日本の酒を初めて飲んだ時は少々物足りなく感じ、、、、」
「なに、私の酒が物足りない!?三浦殿、それは聞き捨てラらぬ!」
「あ、、、いや、これはご無礼しました。今では、私も、、」
「三浦殿、、、わしはなあ、、、」
 そこで忠古がさえぎった。
「殿、私はこのワインと言う酒は言い味わいだと思います。」
「フン、飲めぬ忠古が何を言うか。少しなめただけでいい加減なことを。」
 言っていることはわからないが、険悪な雰囲気を察したロドリゴが按針にスペイン語で声をかけた。
「按針殿、なにやら本多様にはお気に召さないようですが、ここは我ら三か国の友好を願って乾杯しませんか。」
 ロドリゴが申し訳なさそうに按針に話しかけているのを見て、忠朝はロドリゴには悪いことをしたと思った。酔いがまわり、少々言いすぎてしまった。
「三浦殿、これはご無礼いたしました。つい、日本の酒の悪口を言われたようで、これは言いすぎであった。許されよ。があははは。まあ、味は渋いがこのワインと申すもの、香りは良いはないか。ところでるろりこ殿はなんともうされた?」
「我らの絆の深まることを願って乾杯しましょうと。」
「それは良い。」
 忠朝の目配せで、三人が杯を挙げるとロドリゴは微笑み、忠朝に向かって言った。
サルー。」
 忠朝はぎろりとロドリゴをにらみ、
「なんラと。」杯を飲み干して、たちあがった。
「今、猿と申したか?るろりこ殿、誰が猿じゃ?わしを愚弄する気か?」
 忠朝は上半身を左右にふらつかせながら、ロドリゴをにらみ付けている。ロドリゴは忠朝がいきなり怒りだしたわけがわからなかった。サルー(salud)とはスペイン語で乾杯と意味だが、忠朝はそれを自分のことを猿と言ったのと勘違いをしている。按針はあわてた。
「本多殿、落ち着かれよ。サルーとはロドリゴ殿の国の言葉で乾杯という意味です。」
 すると忠古が手を叩いて笑いだした。
「はっはっは。殿が猿とは面白い。太閤秀吉様も若いころは猿と呼ばれて天下をとったもの。これは、殿が天下を取るという暗示ではございませんか?」
 すると、今度は按針が気色ばんだ。
「中根殿、何を申される。今は徳川の世。本多殿が天下を取るなど、それは謀反を意味することではありませんか?」
 今度は真っ赤な顔をして立ち上がった忠朝があわてる番だった。
「忠古、なんてことを申すのじゃ。今の言葉取り消せ。わが父は命をかけて徳川家に仕えてき、また大恩もある。わしが謀反を起こすはずも無かろうに。」
 忠古がこの場を鎮めようとした冗談であることは平静の忠朝ならすぐにわかることだが、酔いがその判断力を鈍らせた。
「これは悪い冗談を、ご無礼しました。私も少々酔いが回ったようで。」
という、忠古はロドリゴの持ってきたワインを少しなめただけである。忠古の口元は笑っているが、目は相変わらず冷静だ。まるで顔の上半分と下半分が別人のように思える表情に、三人は薄気味の悪いものを感じた。忠朝も今日は珍しい客を迎えたのがうれしくて飲みすぎたことを自覚し始めた。
「忠古の悪い冗談で座が白けたのう。按針殿も、るろりこ殿もおつかれレあろう。この辺でお開きとするか。」
 忠古はその不気味な表情で忠朝を見つめた。
(お疲れなのは殿の方。それに、座をしらけたのは誰のせいじゃ。)
 忠古がそんな風に言っているような気がして、忠朝は酔いがさめていく気がし、按針とロドリコに向かって言った。
「三浦殿、ロドリコ殿。我ら、元をただせば三河気質の暴れ者だが、この戦国の世を戦いぬいて生き残ってきた誰にも負けないという自負がござる。故郷の酒自慢でついつい言葉が過ぎてしまった。酒の席とはいえお恥ずかしいところを見せてしまった。許されよ。」
と、話す忠朝の言葉も平静に戻ったようだ。  

     第12話に続く 


 


読売新聞 安藤操さん「ドン・ロドリゴ日本見聞録」(千葉市)

2009年10月30日 | 本多忠勝 本多忠朝(大多喜城)

10月30日 読売新聞掲載記事↓

以下、ニューレファレンス 「日本メキシコ交流400周年」より抜粋

http://www.library.metro.tokyo.jp/16/16e0905.html

 2009年は日本メキシコ交流400周年にあたります。400年前の9月に始まった両国の交流とはどのようなものだったのでしょうか。
  1609年(慶長14年)9月、スペイン領フィリピンの臨時総督の任務を終了し、メキシコへ帰国途中のドン・ロドリゴ(ロドリゴ・デ・ビベロ)ら373名を乗せた船サンフランシスコ号が千葉県沖で座礁、300名を越える異国の遭難者を御宿の人たちが救出し、介抱したことから日本とメキシコの交流が始まりました。
  ドン・ロドリゴは37日間の御宿滞在後、大多喜、江戸、駿府、臼杵などを訪ね、10ヶ月後に徳川家康に提供された船サン・ブエナべントゥーラ号で、ヌエバ・エスパーニャ(当時のスペイン領メキシコ)に旅立ちました。その船は、太平洋を横断した日本船第一号となり、その船で渡航した20数名の日本人は、メキシコを訪問した最初の日本人となりました。
  帰国後ドン・ロドリゴは日本見聞録をスペイン国王への報告としてまとめました。鎖国時代を経て、日本とメキシコは1888年(明治21年)日墨通商条約を結びましたが、この条約は欧米諸国との不平等条約とは違って平等条約でした。

 

「広報おおたき」表紙にもなりました。

9・26 千葉日報 http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/local_kiji.php?i=nesp1254015421

御宿町で26日、「日本メキシコ交流400周年記念式典」と「サン・フランシスコ号漂着400周年記念祭」が開かれた。人命救助の史実を基にした日本メキシコ交流の節目を祝い、皇太子さまが出席されたのをはじめ、森田健作知事、石田義広御宿町長、田嶋隆威大多喜町長、駐日メキシコ、スペイン両大使らが顔をそろえた。

 日本とメキシコの交流契機となったのは、1609年9月、メキシコに向かう途中に御宿沖で座礁したスペイン船サン・フランシスコ号の乗員300人以上を当時の御宿の海女などが救助した出来事。乗員は時の大多喜城主から歓待も受けた。400周年に向け御宿町は、小中学校の道徳授業で史実を取り上げ人類愛の尊さを教えるなど機運を盛り上げてきた。

 メキシコ記念塔前で行われた記念式典では、日本メキシコ交流400周年名誉総裁の皇太子さまが、御宿は両国関係の出発点と呼びかけられ、「日本とメキシコとの相互理解と友好が、今後ますます深まることを期待し、私のあいさつとします」と述べられた。

他にも 「日墨交流400周年」 http://www.mx.emb-japan.go.jp/400/IndexJp2.htm

「メキシコ・日本アミーゴ会」 http://www.mex-jpn-amigo.org/doc.id/4a4c8b11


童謡の里 「里の秋」「蛙の笛」はいすみの風景から 

2009年10月30日 | 国吉その周辺・いすみ鉄道

 墨絵(行元寺に展示されています)を描く私の叔父は、高齢という理由でつい最近車の運転をやめました。 運転の最後に、いすみの風景を忘れないように、お弁当を持って「里の秋」の生まれたこの辺りをドライブしたそうです。

 これは叔父の一日1枚の画です。今手持ちがこれだけなので、色々紹介できませんが、いすみの風景を思い浮かべて描き続けるでしょう。 

 

いすみ市岬町岩熊 童謡の里 

海沼実さんの妻・海沼美智子さんの実家跡地に建つ童謡の里のことをtassさんが投稿してくださいました。

写真は2008年6月のもの。

 遠山の金さんの法興寺から歩いてすぐの場所です。

1944(昭和19)年、家族と共に岩熊の法興寺に疎開した、作曲者海沼実(かいぬまみのる)氏が、1945(昭和20)年暮れ、作詞家の斎藤信夫氏(千葉県山武郡成東町在住)を招き、斎藤氏の作詩した「星月夜」を「里の秋」と改題し、詩の一部を書き直してもらい、作曲にかかり完成させました。岬町は、「童謡の里」づくりを目指し、1992(平成04)年には、法興寺の入口に「里の秋」と「蛙の笛」の歌詞と音符を刻んだ碑を完成させました。  

*こちらからお借りしましたhttp://lake-champ.com/seacret0041.htm

 

場所:いすみ市岬町岩熊635

連絡先:いすみ市社会教育課 0470-62-2811

交通:JR外房線長者駅からタクシーで15分 

    いすみ鉄道国吉駅からタクシーで多分15分くらい。

 

川田正子 里の秋 2000

蛙の笛 川田正子 川田孝子

 こちらもどうぞ かわいいですよ NHKヴァージョン

海沼実と岬町

昭和の童謡をリードしてきた作曲家 海沼実は、この岬町で、数多くの童謡モチーフをものにした。その代表的な作品が、作詞家 斉藤信夫とのコンビによる「里の秋」と「蛙の笛」といえよう。

「里の秋」は太平洋戦争 終戦直後の昭和25年12月24日、「蛙の笛」は、翌21年8月18日に、そのころJOAKといっていたNHKの電波にのって発表された。

一幅の名画の雰囲気を漂わす新しい童謡は、敗戦に打ちひしがれていた当時の人たちが、待ち望んでいたものだった。

爆発的な人気を得た2曲は、半世紀近くを経た今日でも、多くの人たちに親しまれている。

歌碑建立地は、海沼の妻須磨子の実家跡地である。海沼は戦争中からしばしば岬町を訪れた。義妹の嫁ぎ先である法興寺への参道から見渡す田園風景は、故郷松代の景色とよく似ていた。海沼はさまざまな思いをこめて、これらの曲をつくったに違いない。

海沼は昭和46年に亡くなるまで、「みかんの花咲く丘」など、約3,000曲を作曲した。海沼童謡は自分が昭和8年設立した児童合唱団「音羽ゆりかご会」によって歌い継がれている。

千葉県成東町出身の斉藤とのコンビでは、2曲のほか、「夢のお馬車」「夢のおそり」「母さん訪ねて」「土曜の夜」などがある。  海沼美智子 


名奉行「遠山の金さん」ゆかりの地いすみ市

2009年10月29日 | 国吉その周辺・いすみ鉄道

天下御免の桜吹雪



遠山金四郎景元こと

名奉行・遠山の金さん

いすみ市に領地を持っていました

 

岩熊の法興寺(ほっこうじ)は、飛鳥時代の702(大宝02)年創建。
法華寺は、平安時代の849(嘉祥02)年創建。
 

 江戸時代の岩熊村領主は遠山家で、遠山家5代景晋(かげみち)は、金四郎と称し、長崎奉行所第84代奉行を勤めた。

1997(平成09)年、長崎奉行所の庭園の池の跡から、景晋の名が彫られた石塔が発掘されている。 

以後9代迄の5人が金四郎を名乗る。

景晋の息子6代景元(かげもと)が2代目遠山金四郎で、「遠山の金さん」こと北町奉行の遠山金四郎なのです。

末代の景福(かげとみ)は、岩熊の農民から年貢米を取らず、耕作農民に分配した。

農民は「お殿様」の温情に感謝し、明治時代初期に遠山講を創って遠山家先祖代々の供養・礼拝と歓談をしたと云う。

今でも12月22日には、関係農家が集うということです。 

* 名奉行 遠山金四郎家顕彰碑 

http://www003.upp.so-net.ne.jp/esato_iwakuma/kensyouhi-ura.htm

 

交通:法興寺は外房線長者駅からタクシーで15分。

    いすみ鉄道国吉駅からタクシーで15分。

 

車の方は、いすみ鉄道国吉駅でお土産を買ってお帰りください 

北町奉行 遠山左衛門尉様 御出座ぁ~!

「皆のもの 面(おもて)をあげ~ぃ 

「車利用者も、お土産ひとつ買って

いすみ鉄道の存続に協力して参るのじゃ。」

(by 遠山の金さん ) 

・・・(*o☆)\バキッ!

 


風そよぐ谷 国吉駅 ~ 看板から想うこと

2009年10月28日 | いすみ鉄道応援団・いすみ鉄道

  

カメラマンtassさんが国吉駅で見てきたもの

奥村さんが作ってくださった国吉駅の看板です。

いすみの里山+ムーミン谷の雰囲気満点です

大きくしてゆっくり右にスライドしてみましょう。

リトルミイはなんて叫んでいるのかな? 想像してみて。

風そよぐ谷のムーミンの家の近くに黄色い列車が走っています。

木の枝で出来た国吉駅の文字。

駅にはニョロニョロが住んでいるのね。

やあ、みんな。 ボクがムーミンだよ。

看板をスライドさせただけで、物語が浮かんでくるようです。

奥村さんはきっと物語を浮かべて描いたね。ねっ?

でなきゃこんなに表情豊かにならないですもん。

風景にだって表情があるのよ♪

奥村さんも 

皆のあたたかいエールがあったからこそ、頑張れたと思います。

 

あたたかいファミリーの待つ駅

風そよぐ谷 国吉駅

 

ぼくがいま、あの人に会うためにこの山をのぼっていること、あの人が知っていてくれたら、ぼくはこの山をこえていけるんだがなあ」 (by ムーミン) ムーミン童話名言集より 


ムーミン列車でどこに行こう.。o○ イベント日程一覧

2009年10月28日 | いすみ鉄道・地域情報

  黄色い列車に乗って~どこへ行こう 黄色い列車に乗って~

(写真は酒呑童子さん提供)

tassさん、奥村さん、葵の会さんから今後のイベントスケジュールのお知らせをいただきました。 「うちのイベントがないという方は、コメントや掲示板でお知らせください。 ご自分でPRしなきゃソンですよ  「これだけじゃ足りない。もっと詳しく教えたい」という方もね(^_-)-☆

 

いすみ

 第29回いすみ市 夷隅産業フェスティバル
 11月1日 9:00~14:00  いすみ文化会館
 交通:いすみ鉄道・国吉駅から徒歩20分ぐらい

http://www.city.isumi.lg.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=1725

 

 いすみ市 岬町ふるさとまつり

 2008年の様子


 11月3日(祝)  9:00~14:00   岬運動場 岬町長者22

 農水産品及び商工製品の展示販売など
 いすみ市 岬地域事業課 農林水産班  0470-87-2114

 交通:外房線長者町駅下車

 

 ごじゃ箱大原店 お客様感謝セール
 11月15日(日)    いすみ市大原9930-1
 電話 0470-63-1231

 新米や野菜、花苗のサービス、くじ引きなど

 

 ムーミン上映会 
 11月28日(土) いすみ市文化会館
 
いすみ鉄道国吉駅から歩いて10分~15分くらい
わからない時は誰かに聞いて。皆親切に教えてくれます

 

 大多喜町


 農林業体験に参加してみませんか

              『夷隅の秋満喫ツアー』

 12月1日(火)  9:30~16:00   「やまびこ」で農作物収穫体験

  ツアー申し込みは→ http://www.pref.chiba.lg.jp/nourinsui/06seibi/tour/091201isumip.pdf

 

 2009産業フェア― in おおたき
 11月3日(火・祝)  9:00~15:00
 新鮮農産物の直売と大多喜町商工業の紹介を行う。うなぎ・鱒のつかみどりなどを実施 
 【会場】 大多喜町中央公民館、 大多喜B&G海洋センター
 【交通】いすみ鉄道大多喜駅から徒歩15分

  問合せ先 0470-82-2111 (大多喜町産業まつり実行委員会)

 

  いすみ鉄道開業21周年記念 北川大介ショー 

        11月8日(日)開催   大多喜町中央公民館

     料金  前売り 4,500円  当日5,000円

     お問い合わせは

     カラオケ同好会事務局 TEL 82-2011
     いすみ鉄道友の会事務局TEL 0470-82-2111(内線211)
     いすみ鉄道(株) TEL 82-2161

         いすみ鉄道開業21周年記念カラオケ大会臨時列車時刻表 

 

  養老渓谷やまびこ直売所    もみじまつり

  11月14日(土)~12月6日(日)     9:00~15:00
  特産品販売のほか、土日祝には田舎汁などのサービスも予定

 

 養老渓谷もみじ祭り
  11月23日(祝)   10:00~15:00

  日本で最終の紅葉が楽しめるスポット
  会場では豚汁や餅つきの実演販売、産直野菜の直売、焼き芋フェアなどを予定


 【場所】養老渓谷やまびこ直売所
   いすみ鉄道・上総中野駅からバス または、小湊鉄道・養老渓谷駅からバス

  

 大多喜二十八市(おおたき・にっぱちいち)

11月23日(祝)  10:00~16:00(雨天変更あり)

 

 大多喜町城下通商店街 いすみ鉄道・ 大多喜駅徒歩5分

  ☆とろろめし無料配布

  和太鼓演奏、ライブ演奏、バザー、羽子板・陶芸・わら細工の体験おいしい食べ物のお店も出ます。  葵の会 0470-82-2757 http://blog.goo.ne.jp/aoi20090302

 

 あおいちゃんもムーミン列車・スタンプラリーに参加しています

 

 道の駅 たけゆらの里・おおたき 13周年記念 感謝祭

  11月23日(祝) 9:00~(小雨決行)

  餅つき、祭り寿し即売  1000円以上購入すると抽選会に参加できます!